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城東電軌

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そろそろいも切りの季節ですね。歩いてきました中遠路

駿遠線リターンズ。11月に阿形先生と歩いてまいりました。
少し時間が経ってしまいましたが、今回は大須賀―三俣駅間のレポをお送りしたいと思います。
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旧大須賀役場を出発し、東へ進み交番の角を曲がると軽便の橋台が残るポイントに出ます。
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かつて道路がこの橋梁の下をくぐっていました。この道は、古くからの地域の生活や産業に於いて重要な道路だったようです。
しかし、軽便のガーターが低いため、南のスイカ畑からの荷を運ぶのに不便を強いられ、この東側に踏切を設けた通称『スイカ道路』として有名な農道が整備されました。
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このスイカ道路、今でもその痕跡を見ることが出来ます。舗装こそされていませんが、立派な私道として使用されています。
河原町駅跡を過ぎると、軌道敷きが姿を現してきます。
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水路に掛る当時のガーター橋を確認していると、妙なものに気がつきました。
よく見ると踏切用PC床板ではないですか!
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溝の寸法を測るとニブロク用です。溝の高さも30Kgレール相当ですから、当時の記録と合致します。この先に旧R150の踏切がありましたから、そこで使われていたのでしょうか。
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なぜここに埋められているのか解りませんが(ガードレール基礎代わり?)、自分も昔、横須賀駅構内に同じものが積まれていたのを思い出しました。
旧R150を渡り山裾に軌道敷きは勾配を上って行きます。
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最近は軽便鉄道廃線跡ウォークが定期的に行われて居る性でしょうか、以前は藪こぎをしなければいけなかったこの道も、歩きやすいように整備されておりました。
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この日は天気も良く、高度を上げた軌道敷きからは遠く遠州灘も望めました。
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野賀ではかつて掛川まで通学していたという方から、お話を伺うことが出来ました。
軽便で袋井まで出て、そこから国鉄で掛川まで通学されていたとか。
地理的に南大坂からバスで掛川に向かったほうが近いような気もするのですが、料金(通学定期)や時間が違ったのでしょうか?近隣の貨物も取り扱っていたお話も伺うことが出来ました。
野賀を出ると新道により旧路盤は消えてしまいます。
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一部茶畑の中に小道が残りますが、そこがまたいい雰囲気です。
やがて南大坂へと到着です。ここからは、かつて存在した陸軍の射場への専用線が分岐していました。
今はその痕跡どころか、南大坂駅があった痕跡すら年々消え去ろうとしています。
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この狭い路地に掛川からのバスやR150を通るバスが出入りし、なお且つ飲食店で賑わっていたとは、今となっては想像することも困難なのではないでしょうか?
南大坂を出て最初の交差点には警手小屋がありました。
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そしてここからは完全に路盤は消滅。しばしルートをエスケープです。
通りから南に入ると、そこから三俣駅までは軌道敷きが残っています。
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よく見れば、その延長線上の住宅の敷地の境も、それらしい線形になっています。
此処はいつ来ても雰囲気がいいですね。
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沿線の畑は当地らしく砂地が多く、名産の干し芋(いもきり)用のサツマイモの収穫が行われていました。
ほどなく今回のゴールである、新三俣駅に到着です。
住宅の土留めに当時の面影が伺えます。
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駅北側には当時から存在したであろう、構内を横切る脇道の存在が確認できました。
入口のスロープの横には門構えのように用地杭が立っていました。
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結果的に路線は南へと向きを変えて延長されてしまいましたが、本来の計画であればそのまま東進し菊川を少し北に向きを変え直角に渡った後に、千浜の集落の北側を通る筈でした。(中遠鉄道時代には)
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駅の端に当時のまま残る松林。そんな時代の変遷と栄華を見ていたのでしょうか。
by kitoudenki | 2014-12-09 09:57 | 鉄・駿遠線