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城東電軌

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鰻の香りにさそわれて・行ってきました軽便ウォークIN晩秋の吉田路へ・その2

駅東側は前にも書いた通り側溝の工事で大分様子が変わってしまった感が有ります。(根松駅自体の地下に先程の側溝が暗渠として潜ってる)
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根松駅を出て榛原警察付近まで来ると、今までの様子から一変♪
現役当時の光景が突然目に飛び込んできます。
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左手に田園、右手に立派な槇囲い。手入れがされ、緩いカーブを描いた築堤が堤防に向かって伸びています。
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遠くには松の木とうっすらと富士山が。
ああ、何等美しい光景だろう。1日中この光景を眺めていたくなります。
それでもこの先もありますので、後ろ髪引かれる思いでは有りますが次に歩を進める事としましょう。
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坂口谷川を渡る橋梁は、完全に掛け替えられており、ガーターどころか橋脚も全て新しくなっていました。
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しかしそこから眺める風景は、昔と少しも変わってはいませんでした。
川を渡ると右手に国道150号線が暫くの間並走します。
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国道と線路敷きの間は多くの商業施設で賑わっていますが、山側は昔と少しも変わらない美しい田園風景が広がっています。
直線を暫く進み消防署の裏手を過ぎ、ドラッグストアーの裏手の交差点の所が下吉田駅跡になります。
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丁度車両の止まっている辺りです。
こちらの駅はとても短命に終わったそうで、考えて見ればすぐそこに上吉田駅が見えるし、近くには当時は人家は無かったし・・・・・・
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今でも廻りは田園とその転作によるレタス畑が広がっています。
当たり前と言えば当たり前の末路を辿った駅でした。
やがて線路敷きは緩やかな左カーブを描き集落の間を縫って上吉田駅に到着です。
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こちらの上吉田は、当地の名産で有った鰻や吉田港で使う漁網などの取り扱いで、多くの貨物で賑わったそうです。
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従って構内の線路配置も少々変わっており、貨物側線も交換設備の様な配置になっていたと言います。それも客扱いホームとは斜向かいの配置で有ったようです。
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先にも書きましたが当地の名産の鰻ですが、浜松と並んで昭和50年代以前には町内至る所に養鰻池が見られ、吉田の鰻として全国に多く出荷されていました。今では町内の養鰻池もどれだけ残っているのでしょう。すっかりその光景も過去の物となってしまいました。
因みに養鰻池の造りって浜松とは異なるんですよね。浜松は地面を掘り込んでいるんですけど、吉田の場合は擁壁で囲って立ち上げてあるタイプが多く見られるようです。
(あくまでも私の主観です)
上吉田を出た線路敷きは拡幅された道路の西側部分を進んでいきます。
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小山城駐車場の横を通る時は鰻の売店が有り、良い匂いに釣られてついふらふらと・・・・
(おっとっと)
あ、肝焼きもあるぞ♪(ごっくん)
再びふらふらふら・・・・・

小山城を過ぎると湯日川を渡ります。
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此処の橋梁は当時のままで、ガーターから橋脚までそのまま利用されています。
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それにしても随分簡易的な補強材だ事。萩間川橋梁よりも弱そうだ・・・・・
湯日川を過ぎると県道に沿った歩道(自転車道)として線路敷は緩やかに神戸駅を目指して進んでいきます。
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沿線には昔からの農家も点在していますが、今では新しい住宅がびっしりと立ち並んでかつての様子から一変しています。
昔の写真を見ますと、この辺りの沿線には養鰻池が写っている写真が多く見られたものでした。
神戸駅の手前で線路敷きは県道を斜めに横断して行きます。
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丁度現在の歩行者用地下道が線路敷きの位置をそのままトレースしています。
この辺りも道路の線形改良などで大分様子が変わろうとしていますが、地下道その物が残ってくれれば踏切の跡は後の世代にも伝わりますね。
(ちょっと大袈裟?それより地下道自体が移設になったらどうしよう・・・・汗)
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地下道を潜り、大きく右にカーブをすればそこはもう遠州神戸駅です。
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此処の駅舎は軽便廃止後も比較的遅くまで残っていたので、多くの皆さんがご覧になっていたのではと思います。
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こちらの駅も交換施設、貨物側線があり、貨客両面で多いに賑わった駅だったそうです。
駅前に有ったラーメン屋さんも、古くからの軽便ファンの間では有名だったとか・・・
此処で帰りのバスの時間をチェックしてっと。
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さあ、目指すゴール大井川堤まであと少しです。
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神戸を出ると直線で大井川を目指して線路敷きは続きます。沿線には廃墟と化した養鰻池が田園の中に残っていました。
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やがて緩やかな上り勾配が始まると大井川の堤防が見えてきました。
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此処の辺りには大正13年まで大幡駅があり、人車軌道時代の大井川越え時代には人車―蒸気列車の乗り換えが行われていたそうです。
どの様な規模の駅で有ったのでしょう。古の時代の姿を見て見たかったです。
この場所は旧旧富士見橋(人車併用橋時代)・旧富士見橋(動力車直通併用橋・後に道路橋時代)・専用橋時代と軌道の位置関係が変化しています。因みに現在はその下流に国道150号の富士見橋として重要な交通の要所となっています。
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ですので軽便末期の写真では、線路と道路が妙なS字カーブを描きながらクロスをしていました。ひょっとして道路と線路を素直に真っ直ぐ持ってきた地点が人車併用橋時代の富士見橋だったのでしょうか?
今後資料を紐解いて調べて行きたいです。
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その旧富士見橋ですが、今でもその橋脚の基礎を川床に見る事が出来ます。
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そして橋台の有った所には『国富橋之碑』が建っています。
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片や軽便の橋台もその上流側にひっそりと残っています。
はるか対岸には堤防越しに富士山が見えました。此処に軽便が走っていた頃にはさぞや雄大な情景が展開されていたのでしょうね。(何れ模型化してみたいな)
今回の探索は時間の都合で此処までとしました。
さあ、一度神戸のバス停まで戻りましょう。
元の軌道敷きを戻りますが、どうしても気になる所が有ってちょっと寄り道を・・・・・
そう、廃墟と化した養鰻池をぜひとも撮影しておきたかったんです。
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そこには擁壁、ポンプ小屋、餌小屋など一通りの施設がそのまま残っていました。
こうして神戸駅まで戻り、駅前からバスで静波まで戻り今回の探索は終了となりました。
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さあ、次回はいよいよファイナル❢
駿遠線全線踏破まで大井川―藤枝間を残すのみとなりました。
(あ、大手―岡部間が残ってた・・・・・まあいっか♥)
一部を除く

そんな訳で阿形先生、今回も色々お世話になりました。また次回もよろしくお願いいたします。
by kitoudenki | 2011-12-10 00:03 | 鉄・駿遠線