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城東電軌

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天候不順もなんのその・軽便ウォークに行ってきました3

ここから先の軌道敷きは自転車道として整備されており、今までのように車両の通行は出来ません。しかし、ちゃんと維持されているかというと・・・・・・・
まあ、今回は本題から外れますので置いといて、先に進むといたしましょう。
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緩やかなカーブを描きながら平坦な道が良い感じに続きます。
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やがて右手から国道150号線が近づいてきます。軌道敷きとクロスする所でこちらは地下道で国道をくぐり反対側(南側)に顔を出します。旧道と新道(150号線)はここで合流します。
国道の南に出た軌道敷きは大きく左へカーブしながら、やはり国道に沿うように進んでいきます。
地下道から進む事しばし、おや?あれは!
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路面に埋め込まれたスラブ状の物。何か見覚えが有ります。
そう、軽便の沿線ではおなじみの、ガーターにスラブを被せて歩道に転用したあの橋梁です。周りは埋め立てられている様子。どこかでガーターが確認できないか?
横に少し隙間が有りました。デジカメで確認してみると・・・・・
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おお、当時のガーターだ。
結果的に今回の探索区間で見つけた2か所の橋梁(当時の物)の内の1つでした。
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御前崎港へ至る新設道路を渡ると変電所が見えてきました。軽便はここで国道150号線を斜めに渡り、再び山側へ場所を移ります。
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ここの踏切は国道を斜めに横断していたため大変印象的で、私も子供の頃の踏切の事はよく覚えています。しかし、ここを軽便が通っているのを見た覚えが無いんですよね。まあ、ほとんどが地頭方止まりでしたからね・・・・
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踏切跡を地下道で渡ると再び住宅街へと入っていきます。右手には海が眼下に広がります。穏やかな海が広がって、大変いい眺めです。
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住宅街を抜け、山裾に回り込むように線路敷きは進みます。右手下には地頭方の街並みが広がります。
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ここには昔の映画館の建物の一部が残っていまして、今は工場となっていました。
昔は賑やかな町だったのですね。そう言えば先日の藤枝の軽便展でも地頭方に関する展示が沢山ありましたね。それにまつわる物を訪ね歩くのもまたいいかもしれません。
やがて線路敷きは下り勾配となり、地頭方の町裏を進みます。
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勾配を降り切ると、かつての藤相鉄道の終点であった地頭方駅に到着です。
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かつての広い構内は桜が植えられ、ここに駅が有ったことを示す案内が建てられていました。又、一部の敷地は民地に払い下げられ住宅が建っておりました。
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そして静鉄の関連会社である駿遠運送の営業所が構内に居を構え、ここが駅で有った事、物流の拠点であった事を今に示しておりました。
倉庫の隣にはトイレが有り、これは当時からある物のようです。
しばしこの駅で当時を偲びながら一時の休息をとりました。

そういえば、この日は廃線跡ウォークをされている方を数人お見かけしました。

さあ、一息ついた所で次の工程に出発です。
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駅を出ると10mくらいの川を渡ります。こちらのガーターは撤去されており、橋台がぽつんと川岸に佇んでおりました。
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先ほどの地頭方手前付近から東側の軌道敷きは、本格的にサイクリングロードとして整備されており、あまり昔の風情が感じられません。以前は線路をはがして簡易舗装を掛けただけの良い感じの道だったのですが・・・・・・
なんだか立派すぎちゃってね~。でもそんな文句も贅沢ってもんですかね。
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山裾の平坦な道を歩いて行くとやがて落居駅の駅名標が見えてきました。なぜか集落から離れた位置にあるこの駅ですが、それには訳が有ります。
実はこの駅は2代目だそうでして、以前は集落の中にあってお寺さんの参拝客で賑わっていたそうです。しかし勾配の関係で(折れ勾配、V字の谷の部分)引き出しが困難であったらしく、運転に無理のないこの位置に移転したそうです。
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落居を出ますと程なく右にカーブしながら旧道をS状に横断します。
ここで丁度、畑に行くおばあさんに遭遇。
お話を伺うと・・・・・

お嫁き来た家のお母さんがこの踏切の踏切番をされていたそうで、時間になると道にチェーン(!)を張っていたそうです。列車の接近は何で知っていたのかという質問には、
「あんた、毎日のこんだもんでわかるら。別に軽便が来るなんて連絡なんかないに。」(毎日軽便は決まった時刻に来るので、時間通りチェーンを張ればよかった。特に駅から連絡が来るとかベルや信号の様なものが有った訳ではない。)との事でした。たとえ軽便と言えども、日本の鉄道の定時性というのは徹底していたのですね。本当に誇らしく思います。ただ、365日昼夜有る仕事なので、どこかに遊びに行く事も出来ず、それが見ていて可哀そうだったということを仰っていました。
戦中から戦後すぐ位までの物資の無い頃には、前の浜で塩を作って軽便で売りにも行っていたそうです。落居の人たち5~6人単位で1作業をしていたようですね。
余談ですが、旧相良町(牧の原市)にある相良資料館(田沼意次の居城跡)にはそう言った資料もそろっていますよ。

良いお話を聞かせてもらえました。
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踏切を過ぎて集落に入ると少し広くなっている所に出ます。そう、これが先ほどの初代落居駅の跡です。旧道を挟んだ山側に立派の寺さん(弘法寺)の屋根が見えますね。
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旧落居を出て勾配を登りながら集落を抜けると、一気に視界が開け海を望みながら畑地の中を線路敷きは続きます。
県道239号を横断した所で小さな川を渡ります。地代側(じだいがわ)と言います。
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実はここの橋梁で豚と軽便が衝突して、20人乗りのレールカー(地元の方が教えてくれました。言い方が洒落てます。)が川に転落した事が有ったそうです。軽便らしいエピソードです。
集落の裏手を線路敷きは緩やかに進みますとやがて須々木駅が見えてきます。
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こちらにはホームの跡が住宅の基礎となって残っています。そして海側には駅名標が建てられていました。
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by kitoudenki | 2010-04-30 11:00 | 鉄・駿遠線