人気ブログランキング |

城東電軌

kitoudenki.exblog.jp
ブログトップ

春うらら、軽便ウォークに行ってきました・その4

さあ、新三俣を出発しましたが、ここからが問題です。
なぜかと言うとその痕跡がほとんど無いからです。新三俣を出ると保健センターと旧大東町役場と体育館がの敷地に完全に飲み込まれてしまいます。
仕方がないのでちょっと寄り道。
b0059978_2315139.jpg

先の大戦時、当地には陸軍の射場があり、その敷地を示す境界杭が体育館に保存(放置?)されています。
その杭を見学に寄ってみました。相変わらず放置されたままです。図書館かどこかにちゃんとした形で展示説明してもらえないかな・・・・・・(ね、教育委員会さん☆)
b0059978_2362042.jpg

役場を過ぎると旧国道150号線の踏切跡を通過して、畑の中を通って行きます。
この近辺も構造改善で線路敷はすっかり農地になっており、その痕跡はまったく残っていません。
当時の航空写真との対比で2~3か所のポイントは特定できましたが、やはり西千浜までは何も残っていませんでした。
さあ、いよいよ西千浜駅です。
b0059978_23123189.jpg

こちらが西千浜駅跡です。とはいっても駅名標があるところは駅跡ではなく、その奥の切り通しの部分が駅跡です。当時の県道はその東側(写真の左側)の奥を通っていまして(左側の建物のところ)駅は現県道上と右側の草むら部分にありました。手前の川に掛っていたガーター橋は小学生のころまで残っていましたから、右の草むら部分が確実に線路跡になります。そして草むらの中を探ってみると少し盛り上がっている部分がありました。ひょっとしてホームが埋まっているのでは?夢だけは広がってきました。(いつか掘ってやる~)
さらに昔の資料を見ると交換施設や側線もあったようですね。末期には無かったようですが。

さあ、次に向かうのは千浜駅跡です。ここからは都合により車で移動です。
b0059978_2326747.jpg

現在の国道150号線は軽便の跡地をそのまま利用されていると言われていますが、実は菊川橋梁付近は微妙に異なっており、軽便は国道よりも北側を通っていました。
千浜駅はこの駅名標の位置が駅前通りになっています。そして駅構内は写真手前側に広がっていました。当時は遠州灘一帯は海水浴場として栄えており(今では遊泳禁止です)夏は多くのお客さんが菊川河口の海水浴場に訪れていました。この西側(堤防近く)には臨時停車場も開設されていたようです。

今回の廃線跡探訪はここまでですが、せっかくですから射場にも寄っていくことにしました。シゲさんも昨夏に行かれた場所です。
b0059978_23362372.jpg

今でもいくつかの施設が倉庫などに残っています。これは雷管の試験場の観測所です。
b0059978_2338894.jpg

砲台も3か所残っており、施設の規模を物語っています。
b0059978_23374485.jpg

トンネルも砂丘の中に残っており、以前は軌道の跡も残っていました。実は南大坂駅から専用線が伸びており、多くの物資が軽便経由で運ばれたそうです。
トンネル自体は大分劣化が進んでおり、鉄筋の腐食による表層の剥離が多く見られます。
早い時期に戦跡としての保存措置をお願いしたいです。(ね、教育委員会さん♪)
b0059978_2343647.jpg

発令所の観測窓に歴史の重みを感じます。後に世のために、その意義を伝えるためにもこのような施設を市は活用できないものでしょうか。(すでに払い下げられて年月が経っていますから大変でしょうけれども・・・)

帰りはやはり掛川市(旧大須賀町)の歴史民俗資料館にも寄ってきました。ここにも軽便の資料があるんですよ。
b0059978_23485011.jpg

場所は旧大須賀町の大渕小学校の隣です。昨夏に行われた軽便展にて展示されていた新横須賀駅の駅名標はここの収蔵品でした。
b0059978_23535285.jpg

ここの資料館ですが、一見無造作に置かれているだけですが、意外なものが結構収蔵されています。
一度皆さんも足を運ばれては如何ですか?

さて、今回の軽便探索も多くの収穫を得ることができました。やはりいろいろ案内していただいた阿形先生のおかげでした。どうもお世話になりました。
by kitoudenki | 2009-04-29 00:01 | 鉄・駿遠線