人気ブログランキング |

城東電軌

kitoudenki.exblog.jp
ブログトップ

春うらら、軽便ウォークに行ってきました・その3

さて、野賀を出たところで河川改修と道路の新設、改修によって廃線跡は一時消滅してしまいます。
まあ約100mくらいですけど。
b0059978_21495065.jpg

その後は茶畑の中を一時的に復活します。
b0059978_21505415.jpg

茶畑では一番茶の収穫真っ盛りです。一番茶は新芽を手摘みで行いますので正に人海戦術です。
ここの道は廃線跡の状態がはっきりと読み取れます。
b0059978_2157788.jpg

茶畑を過ぎると様子が一変!廃線跡を拡幅した新設道路に廃線跡は飲み込まれてしまいます。
b0059978_21585635.jpg

広い快適な道ですが、果たして線路跡はどの部分なんでしょう?一番山側の歩道部分だと思うのですが、道路の線形(曲率)によっては確証は持てません。
b0059978_221513.jpg

しばらく行くと谷口駅に到着します。ここからは、観光協会が設置した駅名標が各所に設置されていきます。(正確な位置のものばかりではないですけど・・・・)
b0059978_2235641.jpg
b0059978_2242047.jpg

谷口駅の駅名標です。裏側には駅の説明板も設置されています。
当初は表側だけだったのですが、後に阿形先生が説明板を設置されたそうです。
b0059978_2263170.jpg

谷口駅を出て少し進むとそこはもう南大坂駅です。駅の構内はさほど広くはなかったのですが、この地区の中心にある交通の要所でした。国鉄の掛川駅からのバスも、当時はほとんどがここの南大坂行きでした。戦時中はここから専用線が出ており、この南側にあった軍施設を(後述)結んでいました。
b0059978_22113047.jpg

南大坂駅前の情景です。この奥が国道150号線で(当時の)そこまで多くの商店が並んでおり、路線バスも駅前まで入ってきていました。今でも当時のにぎわいが伺い知れる建物も残っています。
b0059978_22143967.jpg

南大坂駅の駅名標です。当時の駅舎があった部分に立っています。駅舎のあった部分は今でも舗装されずに更地のままになっています。
b0059978_22162168.jpg

南大坂駅の東側には主要県道掛川―大坂線の踏切があり、そこには踏切番の小屋があり、遮断機の操作をしていたのを覚えています。(あれは幼稚園の頃だったかな~)
b0059978_22193937.jpg

現在の静岡銀行大東支店のある交差点までは廃線跡をトレースしていますが、そこから東側の新設道路は廃線跡とは関係ないルートをたどっています。従いまして、交差点から400mくらいは完全に廃線跡が消滅しています。
b0059978_22231531.jpg

さあ、お待たせしました‼廃線跡復活です。それもとてもいい感じで復活です♪
でもこのいい感じの区間はほんの50mくらいなんですよ。
この道をほぼ真っすぐ行くと新三俣駅に到着となります。
b0059978_22282740.jpg

廃線跡をまっすぐ進んで道路を渡ったところ(当時の踏切)が新三俣駅です。
廃線後の用地は分譲されてしまい、今では住宅がたくさん建っています。それでも良く観察して見ると北側の境ははっきりと特定できました。南側については住宅が立ち並んでおり、特定は不可能でした。(不審者に見られてもいけませんしね)
b0059978_22325377.jpg

これが北側の境に残っていた境界杭です。当時は駐泊施設、留置線、駅舎にも乗務員の宿泊施設があったそうでとても大きい駅だったそうです。
その駅跡地がバスターミナルではなく売却されてしまったというのは、街道から奥に入っていたこと、役場が街道沿いに移転し代行バスのルートと車庫の関係からでしょうか?
b0059978_22383910.jpg

敷地内の空き地には駅名標が立っていました。さすがに住宅地だけあって、奥まった所にひっそりと立っていました。


さあ、次は一番痕跡のない部分、西千浜を目指して進みますよ~
by kitoudenki | 2009-04-26 22:40 | 鉄・駿遠線