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タグ:廃線跡 ( 12 ) タグの人気記事

企画展『袋井と軽便鉄道』

袋井市歴史文化館で現在開催されています企画展、『袋井と軽便鉄道』を見学に行ってまいりました。
今までにない新資料ということを新聞で読み、果たしてどのような内容かと期待をしながらの見学でした。
内容としまして展示資料の数は少ないですが、地元常設委員や村議会の議事録に記載されていた軽便に関する記述のピックアップでした。
路線選定に関する会社側との折衝議事、芝駅の停留所から停車場への格上げ陳情議事など、今まで史実として知られていた鉄道の建設から開業に至る歴史を、生々しい証言で身近に語っている面白い資料ではありました。
特に藤相・中遠鉄道史以前に存在した駿遠鉄道(未開業・見附―焼津)に関する地元の折衝議事など、紆余曲折の路線設定や折衝具合をよく表しているのではと思い、興味深く拝見しました。
株式による建設資金に関する記述もあり、各村ごとに小口株主をいかに集めるか、大きな産業の無かった田舎の鉄道の経営を如実に物語っていました。
そういえば最近では大井川鉄道で経営側による全株式取得に際し、沿線住民に多くの開業時からの小口株所有者がおられたという報道を思い出しました。

今迄は会社経営資料、公文書資料からの読み解きで語られることが普通の鉄道史でしたが、地元に眠っていたこのような文書に着目し読み解いた担当者の方に拍手を送りたいと思います。
(お会いしたらお若い方でした!)

同企画展は11月12日まで袋井市歴史文化館(旧浅羽町役場2F)にて開催されています。
土日は閉館していますので注意が必要です。詳しくは袋井市のHPをどうぞ。
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by kitoudenki | 2017-10-05 20:56 | 鉄・駿遠線 | Comments(0)

尾西線木曽川港駅

名鉄尾西線の一宮―玉ノ井ですが、かつては名岐のメインルートであり木曽川港駅までの路線を有していました。
木曽川橋梁の完成と一宮ー笠松の新ルートの完成の後は支線となり、戦時中は不要不急路線として路線の廃止、戦後の玉ノ井までの復活の後も末端部までは復活することはありませんでした。
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そんな尾西線の木曽川橋駅や木曽川港駅ですが、S23の航空写真にはっきりとその痕跡を確認することが出来ます。(国土地理院地図・航空写真閲覧サービスによる)木曽川橋構内は畑にでも転用されているのでしょうか?レールの痕跡こそありませんが、明確にその敷地は判別できます。駅舎らしきものも確認できます。木曽川港駅については、ホームらしきものも確認できます。笠松湊、木曽川湊、共に通運としての役割を担っていた時代であることがわかります。現在の様子はどうでしょうか?グーグルアースなどで照らし合わせてみてください。容易にレール跡や木曽川橋駅跡が辿れることかと思います。木曽川堤防から先については残念ながらその痕跡は無さそうです。木曽川港についても草木に覆われてかつての面影は無さそうです。片や対岸の笠松湊は史跡公園として整備されています。
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by kitoudenki | 2016-11-07 23:12 | | Comments(0)

この背徳感が堪らないー真昼間から頂いてきました、花の舞酒造の蔵開き試飲会♪

昨日の日曜日、浜北は宮口にある酒造場『花の舞』で行われました新酒味見会に行ってまいりました。
このイベントは蔵出しの新酒が飲み放題と有って、毎年大勢の人でにぎわうイベントなのです。流石に飲酒のイベントと有って、天浜線で最寄りの宮口駅へと向かいました。掛川駅でもそれとわかる大勢のお客さんで、列車は既に席が埋まっていました。
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私は友人と待ち合わせがありますので、二俣駅でちょっと写真を撮りながら時間調整です。二俣駅で予定の列車を待っていると、直虎のラッピング車がやってきました。家康がムキムキのイケメンだったり、ゲームキャラの戦国武将は何ともイメージ昇華がうまいものだと感心した次第です。
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予定していた列車で友人と合流し宮口へ。宮口では折り返し用の出発信号を撮影してから会場の酒造場へと向かいました。
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会場に着くと既に多くの宴席が至る所に!酒造場と向かいの庚申寺境内まで人でいっぱいです。
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受付でグラスをもらい、早速お酒を注いでもらい頂きました。ぐび💛
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純米しぼりたて生原酒が五臓六腑に染み渡ります。昼間っからお酒を頂くこの背徳感がまた堪りません。心置きなくおいしいお酒を頂いた後は、酔い覚ましに門前をぶらりと散歩です。此処も多くの人で賑わっていますね。
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宮口は庚申寺の門前を中心に発展した街ですから、この通りが昔からのメインの通りになります。門前を下って東に曲がるとそこには西遠軌道の宮口駅の跡があります。
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今は道路になっていますが、当時は全線専用軌道で宮口の町の裏に駅がありました。西遠軌道は大日本軌道の改軌で不要になった資材を譲渡、転用の上で建設された軌道でした。
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案内看板にはコッペルとなっていますが、実際には雨宮の機関車が3両活躍しています。折角の顕彰看板なのですが、できればもう少し正しい内容にしていただければと思います。そんな西遠軌道も二俣線の開通、昭和大恐慌や距離の短さ(歩いた方が早い)のために早い時期に廃止となってしまいました。
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秋の日の一日は吹く風も酔った体に心地よく、再び天浜線の宮口駅に戻り帰路に就いたのでした。
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by kitoudenki | 2016-10-31 23:21 | 日々の出来事 | Comments(2)

小さな工事軌道の話

その昔、静岡市の南部は低湿地帯で田園の広がる所でした。

時は第2次大戦中、航空機の増産の必要性から、このエリアに住友金属プロペラ製作所と三菱金属が新たに軍需工場を建設することとなりました。

元々低湿地の場所故盛土の必要があり、客土工事用の軌道が敷設され工事が行われました。
当時の土木工事では至極一般的な工法です。

場所は現在のSBSから駿河総合高校のある辺りに住金が、そしてツインメッセ付近一帯に三菱が建設されました。

住金側の工事では採土場は現在の静大の場所(片山丘陵)にあり、昭和17~8年より大谷川の改修と共に工事は始まりました。

片山丘陵から造成地までは軌道が敷設され、工場南側の石田地区からも併せて採土が行われました。工事には機関車も使われていたそうです。

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この工事の過程で縄文遺跡が発見されたことは、皆さん周知の事かと思います。(現在の登呂遺跡)

戦後の航空写真ですが、扇状にレールを動かし採土する、セオリー通りの工法が土場で確認できて大変面白く思いました。

戦後は郷道として軌道敷も残っていたようですが、昭和42年頃に大谷川放水路と農地の構造改善のために軌道敷は消滅してしまいました。今では大谷街道の路地にその面影を残すくらいでしょうか?

一方の三菱側ですが、こちらも軌道があったものと思われますがはっきりとした確証がありません。

こちらの採土場は現在の小鹿病院付近の東名高速の真下になります。

これらの軌道は仮設の工事軌道のため、記録にも残りません。又、工場も空襲による被災、敗戦による混乱、戦後の産業構造の変化などで今ではその面影もありません。

かつてこの地にそんな歴史があったことを気にしていただけたらと思います。

航空写真出典

国土地理院 地図、航空写真閲覧サービスによる。


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by kitoudenki | 2016-10-27 21:36 | | Comments(0)

萩間川橋梁

静鉄駿遠線跡に掛かる萩間川橋梁が、河川工事のために撤去されるとのことで、先日現地調査を行ってまいりました。
同橋梁は旧藤相鐡道エリアであることから、中遠エリアと比べ設備投資がなされており、河川工事の関係もあるが静鉄独自の新工法の橋梁に架け替えられているのが特徴です。
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中間部の4径間は静鉄設計の新しいガーターに架け替えられています。ガゼットも使わずブレスを直接主材にリベット止め。それもフランジの下側に。桁がたわんだ際に上部が開いてしまわないか心配になります。7mほどのスパンなら心配しなくてもよかったのかな?
両端の径間のみは真面(?)な桁が使われています。
旧橋からの流用なのでしょうか。
橋脚はパイルを使った工法。φ400のパイルの上に横桁を繋いでいます。
面白いのは橋台も同じ工法で作ってあること。
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擁壁とは独立した橋台が法面に埋まって桁を支えています。
その他にも観察をするといろいろと面白い事実がわかりました。
現物が目の前にあるのだからこそ、しっかりと観察をする目を養うことが大切です。

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自分なりの記録と検証が出来ました。

尚、写真は通行止め以前に撮影したものです。
現在、同橋梁は通行禁止になっております。
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by kitoudenki | 2016-08-29 17:18 | Comments(0)

福島交通軌道線の面影

先日の事、取材を兼ねて福島交通軌道線の保存車とその沿線を訪ねてまいりました。
行きがけの駄賃とばかりに白棚線に寄り道をしたりとした所、郡山に未だテルハが残っていることを知りました。(今更ながら)
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よく見ればガーターはPATENT SHAFT AXLETRE CO ltd の1900年製。
イギリス製のこれとは、どこかの橋梁の転用でしょうか?
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そんな発見をしながらの福島入りでした。
福島では路面電車を偲ぶ会の方にもお話を伺うことが出来、先日修復された保存車を十分に取材することが出来ました。これで1114号の製品化も大きく前進しそうです。
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取材の後は沿線の遺構を数か所巡ってみました。
福島交通と言えばここ、此処に来ずして何を語らんや!
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そう、長岡分岐点です。古の写真で見た通り、よくぞこの場所にデルタ線が、貨物電車や貨車が・・・・
想像以上に小さな交差点でした。
続いて国道をオーバーするスロープに残る架線柱、そして阿武隈川橋梁。
馬面電車が走っていた当時の面影が、色濃く残る場所でした。
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掛田線の終点、掛田駅にはいまだに駅舎が有人で残っていることは、皆さん多分ご存知かと思います。バス停の名前も掛田駅前という素敵な名前を未だ堅持しているこの路線、此処も行かない訳にはいきません。
電車時代には電圧降下が激しく、柱田の坂を上る電車も大分スピードも落ち室内灯も暗くなったといいます。(変電所は車庫前にしかなく、掛田辺りでは400Vくらいまで電圧降下していたようです)
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駅は当時の敷地にそのままに建っていました。
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ホーム側には電車時代のベルも残り(流石に使用はされていません)、当時の佇まいがそのまま残っていました。
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出札窓口もそのまま使用されています。記念にバスの切符でもと思ったのですが、現在は乗車券類の発売はしていないとの事。残念でした。
駅の敷地内には軌道開通記念碑が残っています。
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立派な石碑で、当時の軌道に対する思いが伝わってくるようです。

こうして軌道線の取材を終えて帰途に就いたのでした。
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by kitoudenki | 2016-08-06 23:01 | 鉄な旅 | Comments(2)

冬の電車道跡

名鉄岡崎市内線の福岡線。その廃止後はバス専用道となり、今でも電車時代の面影を随所に感じることが出来ます。
そんな冬のある日、新製品の取材がてら岡崎の地を訪問してみました。
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すっかりきれいになった岡崎駅前のロータリーでは、福岡行きのバス停がすぐに見つかりました。大樹寺方面の利用客は多いようですが、福岡方面は便数に対して利用客はたいして多くないような感じを受けました。
岡崎駅前から柱町までは市内の区画整理されたルートを走り、柱町からは旧軌道敷をバスは走ります。各停留所は当時の建物こそありませんが、軌道時代の面影を沿線に残しています。
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西若松と東若松には、軌道の舗装につかっていたと思しき敷石が並べられていました。
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沿線には専用道路であることを示す看板や速度表示もありますが、地元の方の通行も結構あるようで、自転車や歩行の方を普通に見かけました。自動車もこの道を通らねば辿れないのでは?と思うような家屋も当たり前のようにありました。
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そこらは地元と名鉄の暗黙の良い関係なのでしょうね。
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終点の福岡はロータリーになっており、軌道時代の面影は何もありません。
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駅跡の先には旧西尾線の軌道敷跡が、住宅地の間を縫って南へと延びていました。
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この魅力的なロケーションの専用道なのですが、近々都市計画や下水工事で大きく様変わりしてしまいそうです。又、バスもこのルートから一般道へと移ることが広報されています。
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春までにはまだ時間はあります。この魅力的なバストリップに一度いらっしゃいませんか?
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追伸:新製品のネタがこの記事の中にありますよ~
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by kitoudenki | 2016-01-07 17:01 | 鉄な旅 | Comments(0)

巡回展のお知らせです

静岡鉄道駿遠線、このブログの読者の方にもその名前に郷愁を覚える方も多いのではないでしょうか。
近年沿線市町において盛んに行われている顕彰行事ですが、今回ご紹介するのは袋井市、掛川市、御前崎市の3会場の巡回企画展なのです。
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各会場ごとにテーマを設け、それぞれに違った切り口を見せてくれるようです。単に同じ資料の巡回ではないところがうれしいです。
これはもう各会場に足を運ぶ楽しみが出来ましたね。
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会場、会期は案内ポスターを参照していただきたいと思います。
又、会期中の12月19日(土曜日)には会場の掛川市立大東図書館において、静鉄駿遠線についての著書も多数出版されています阿形昭先生の講演会も予定されているとのこと。(変更の可能性もあり。正式発表をお待ちください)

このほかにも沿線には近藤記念館前の復元バグナル大須賀の郷土資料館、陸軍遠江射場跡など軽便ゆかりの見どころもあります。

ぶらりと冬の遠州に、からっ風に吹かれにいらしてはいかがでしょうか。
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by kitoudenki | 2015-10-30 10:55 | 鉄・駿遠線 | Comments(0)

信貴山に夢の跡を求めて・いざゆかん、信貴山急行高安山駅

それはやけに雨の多く蒸し暑いこの夏の事、近鉄の鋼索線の一つである西信貴鋼索線を訪ねてまいりました。
大阪線の河内山本を降りると、そこには2両編成の信貴線の電車が止まっていました。
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乗り込むとすぐに発車となり、急カーブを左へ曲がるとやがて線路は上り勾配となり、終点目指して電車は信貴山麓を駆け上がって行きます。
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勾配を上がり切った僅かな水平地点が、終点の信貴山口でした。
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木造ドーム屋根のある風格ある駅です。そこから直角に交わるように西信貴鋼索線ホームが伸びています
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そこに止まっている車両の先には小さな貨車が連結されていました。荷台には小さなオイルタンクが。プーリーへの塗布用でしょうか?
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その先には貨車への荷降ろし用と思しきジブクレーンが見えます。
やがて発車時間となり、ケーブルカーは音もなく走り始めました。
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しばらく進むと踏切が見えました。ここは生駒線と同じく、全国的にも珍しいケーブルカーの踏切が見られる路線なのです。
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勾配が変わり桟を通る頃には、前方に交換所が見えてきます。
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交換所を過ぎトンネルを通ると、また一段と勾配が変化します。
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やがて山上駅である高安山駅が見えてきました。
こちらの駅は、山下と違いホームも狭く勾配も大きくとられています。
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到着したホームの横には給油のためのホースが伸びており、到着後は先程の貨車のタンクにホースが繋がれていました。
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屋根の外側には貨車が1両置かれており、レールに乗せるための天井クレーン設備と共に興味深く観察しました。貨車には銘板も付いており、コニ7という形式が確認できました。
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外に出るとそこには今回の目的である信貴山急行電鉄山上線のホームが有りました。
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ホーム上には案内看板も設置され、今やこの遺構が如何に有名物件であるかが伺えます。
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車庫跡にも行ってみました。しかしすっかり整地され、跡形もその遺構は確認できませんでした。
さあ、目的の物も見れましたので、そろそろ山を降りる事にしましよう。
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駅にて発車を待っているとみるみる黒雲が広がり出し大雨が降りだしました。
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山を降りるケーブルカーは、雨の中を進みます。期待していた眺望は楽しめませんでした。
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再び信貴線に乗り河内山本まで戻ってきました。さあ、これから今夜のお宿に向かいましょう。
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振り向けば信貴山口へと戻って行く電車が、丁度視界から消えてゆくところでした。
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by kitoudenki | 2015-09-08 21:35 | 鉄な旅 | Comments(0)

春のご近所散歩は駿遠線

少し時間が空いてしまいましたが、4月の中旬に駿遠線の跡を阿形先生と再び歩いてまいりました。
今回は新三俣―桜が池の区間です。
新三俣から菊川右岸までの痕跡は、構造改善によって完全に消え去ってしまっています。わずかに西千浜駅の切り通しと、南に延びる県道供用区間に、その面影を残すのみです。
そんな道中で、今回は元職員の方のお話を伺う事が出来ました。
お宅へ伺いお話を伺うと、色々と当時の面白いエピソードをお聞きする事が出来ました。
曰く。
当時は藤枝駅の2階に駿遠線全線、秋葉線を管轄する管理部門が有り、そこで資手配やら公的な報告書なども作成していたとの事。すなわち、車両竣工図作成、運輸報告などもそちらで作成していたそうである。
職員も運転課4名、運輸4名、統計審査4名、保線4名という陣容だったという事です。(除く現業部門)
駿遠線の名物機関車であるDBであるが、その製造工場の見分け方の一つにヘッドライトの取り付け位置が有るようだ。各工場(各職人か?)によって取り付け位置に好みが有るようで、特色が現れている。
蒸気機関車は静缶剤などの薬剤は特に入れていなかったようである。スケールの付着など大丈夫だったのだろうか?熱効率や使用する水など、結構効率が悪かったのではと想像する。(私の想像)
蒸気機関車は夜間は置き火を残すことはせず、毎朝係の物が早朝に火を入れていたとの事である。軽便蒸気のサイズなら、さほど苦ではなかったかもしれない。
石炭は粉炭を固めた物を使ったいたとの事。
蒸気機関車の全般検査は浜松工機部に委託していたそうで、袋井駅の積み替えホームから乙種回送で浜松へ発送していたそうである。
何年か前に藤枝市で保存されている立山重工の蒸気を大井川で修理した時、丁度大井川のチキに乗せられている姿が見られたが、あの姿が当時袋井―浜松工機部で見られたわけである。
中遠鉄道も戦時中はご多分にもれず燃料難でガソリンカーは代燃装置を搭載していたそうだが(全てかどうかは不明)、戦後も昭和24~5年ころまでそのまま搭載していたそうである。結局ガソリンカーとしては復活せず、ディーゼルエンジンに載せ替えたそうである。
当時は車両用のエンジンは種類も少なく、民生(UD)などは背が高く使えなかった。依っていすゞが好んで使われていたとのことである。
この方は、藤枝の管理部門に数年いらっしゃった後、静岡線へと移られて20、100、などそれに続く自社製造の電車にも関わられたとの事でした。

お宅を辞した後は元のルートを浜岡方面に向かい歩を進めました。
菊川を渡ったところでは、今回入手した当時の写真(O.K様撮影、掲載了承済)を見ながら現況との確認を行いました。
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現在のR150は直線ですが、当時の線路敷きは緩やかなカーブを描きながら菊川堤防に向かっているのが解ります。
千浜駅あとでは復元されていた駅名票が見当たりませんでした。
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R150に沿って見え隠れする廃線跡を追いながら、塩原新田まで歩を進めます。
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塩原新田の東側は、今でも当時の面影が一番残る区間です。
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下草に隠れた路盤を見ていれば、まるでそこが現役の軽便のような錯覚さえ覚えます。
ところが、R150もこの辺りまで拡幅工事が進んでおり、以前と比べてこの場所の雰囲気も変わってきてしまいました。
この東側にあった軌道敷きの跡も同様です。
軌道敷きがR150を渡り北側の藪へ入ったところの橋台跡へ行ってみました。
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以前2か所の橋台を見つけた所です。(1個は旧陸軍時代の遺構ではないかと推測)
橋台は草むらの中に埋もれていましたが、現況を確認出来ました。
新しいほうは(駿遠線時代と思われる)はガーターを固定していたアンカーも確認出来ました。
この前後も藪の中に軌道敷きが完全に残っているのですが、如何せん藪の勢いが凄く踏破するのも一苦労です。
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藪を抜けると浜岡を経て新野川橋梁跡までやってきました。
橋を渡ると、そこからは築堤で桜が池へと上って行くのですが、その扇状に広がる敷地がいつの間にか太陽光発電施設になっていました。それでも用地が当時のままの線形でしたので、十分昔を忍べるのがせめてもの救いでした。
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此処で築堤跡の脇にあった陸軍の(遠江射場)用地杭を確認に行きます。
築堤から15mも脇に入ると目指す杭はそこにありました。
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今まで気が付きませんでしたが、よく見るとその奥にももう1本。ひっそりと木陰に佇んでいました。
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桜が池はその痕跡はまったく残っていませんが、ほぼ近い位置に復元駅名票が建っています。かつてはもっと高い位置に築堤が築かれ、新野川からサミットを目指して連続勾配を駆け上がっていました。
今は築堤も崩され、のどかな畑が広がるばかりです。
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帰りは掛川市内某所に今だ放置されている、陸軍の用地杭を確認してまいりました。
まさかと思いましたが、今だ放置されたままでした。
教育委員会のみなさん、保全措置をよろしくお願いしますよ!
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by kitoudenki | 2015-05-24 22:51 | 鉄・駿遠線 | Comments(1)