城東電軌

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性懲りもなく・・・・・・

日が短い今の季節、早朝の撮影は諦めていたんですが、ふと思いたってふじぶさの撮影に行ってきました。
秋口で終了したつもりだったのですが、性懲りもなくトライしてみました。我ながら諦めが悪いです。
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で、撮れたのがこちら。相変わらずのお決まりアングルで変化が無いのですが、ISOを1600まで上げて何とか1/200まで撮れました。ふ~、やれやれです。
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その30分後に撮影のホームライナーですが、この時間になるとISO800まで行けますね!

以上今朝の収穫でした。

そういえば最近ねこたちが出てこないな~
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by kitoudenki | 2008-11-30 21:13 | | Comments(4)

紅葉見物

今日は久しぶりの2連休でした。
今朝方ふと思い立って、浜松市は明神峡に行こうと朝4:00ごろ家を出ました。(家族は誰も付き合ってくれませんでした・・・・・・)
目的はそう、紅葉狩りです!
此処は旧の春野町と水窪町の間にある秘境でして、もう何年も行っていないのですが結構お気に入りのスポットです。
5;30ごろ現地近くまで来たところでなんと
落石の為通行止め!

ああ、なんてこったい・・・・・・

此処まで来て目的地には行けませんでした。ガックリ

此処まで来てそのまま帰るのもシャクなので気田の営林署でも見ていこうとしたらそこには
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営林署が無い!
そう、いつの間にか営林署は廃止になっていたのです。かつては此処から門桁へ森林鉄道が出ていたのですが、今では完全な更地になったいました。
行きは真っ暗で気がつきませんでした。
そういえば土場を出て少し行った所にアーチ橋が有ったはずです。まさか撤去はされていないだろうな~
とりあえず行って見ることにしました。
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ああ、よかった~
此処はまだ残っていました。
紅葉は見れませんでしたが、アーチ橋と渓谷を堪能してきました。

それにしても朝からテンション下がるな~
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by kitoudenki | 2008-11-24 22:15 | 日々の出来事 | Comments(2)

さようなら掛川駅舎

JR掛川駅の現駅舎が解体されるかもしれません。
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なんでも耐震性に問題ありとの事で、そのような話が持ち上がっているようです。
事の詳細は分かりませんが、新幹線開業時にも建替えの話も有って、その時は掛川の玄関口のシンボルとして保存する(本当は駅舎建設までの予算が無かったからなのですが・・・・・)という事になっていただけに残念です。
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駅舎に入ると正面に改札口があります。自動改札化や新幹線開業などのために改札や出札窓口の位置など大分変化してしまいましたが(私の子供の頃には改札がもっと左で左の壁には手小荷物扱い窓口、緑の窓口、近距離自動券売機の順で並んでいました。)高い天井と明り取りの窓はそのままです。
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右側のキヨスクの前には沢山のベンチが並んでいましたが、今ではそれも有りません。

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待合室(コンコース)にはこんな地元産品のショーケースが展示して有ります。以前はどこの駅にも有りましたよね。
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ホーム側から見るとこんな風です。旧4番線との間の線路敷き用地がイマイチ使い切れていません。雑然としていて少々寂しいです。
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地下道の入り口です。やはり新幹線開業時に化粧直しされていますが、今でも昔の雰囲気が良く残っています。
但し、番線表示が今とは逆で、在来線南側から1番(東海道線下り)2番(東海道線上り)3番(上り待避線)4番(二俣線)の順でした。
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旧3・4番線は未だに木造の上屋が残っています。
この右側にいつも二俣線のキハがアイドリング状態で停車していました。1・2番が電車用の高いホームで3.4番が客車用の低いホームでしたから、エンジンの様子が良く見えました。

それでは此処で昔の写真を幾つかお見せしましょう。
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当時の4番線の様子です。左奥に駅舎が見えます。
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線路が撤去された4番線と駅舎前ホームです。
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朝の上り列車はこの位置まで一旦引き上げて、後続の上りと連結して下り二俣行きとなります。2列車分を回送もかねて下りとしますので、5両連結となり中々の見ものでした。
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新幹線開業の日の駅前風景です。すごい人だかりです。

今後の駅舎の処遇が気になります。果たしてどうなるのでしょうか?
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by kitoudenki | 2008-11-23 22:13 | | Comments(8)

Pao Frances (ポン フランセス)

今日は所用ついでに近所のスーパーにチョット寄り込んできました。
で、何を買って来たかと言うと、
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ブラジルのもっともポピュラーなパン、Pao Frances (ポン フランセス)とボロネーゼソーセージ、プラトチーズです。
当地はブラジルの方が多く住んでいますので、スーパーにはそういった食材を扱うコーナーがあり、結構気に入って利用しているんですよ。特に此処のスーパーはチーズやソーセージのスライスした物を小分けで販売しているので重宝しています。
Pao Frances はモッチリした日本のパンとは違って皮はバリバリですが、中はいい感じにふっくらしていて結構好きです。ホントは焼いた当日が一番美味しいんですけど、明日の朝はこれでサンドイッチでも作ってみるつもりです。
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by kitoudenki | 2008-11-23 20:54 | 食べ物 | Comments(0)

オトナグリコ

オトナグリコの新CM が始まりましたね。
今度の新CMは最初の『再会編』ほどのオモシロさは無いんですけど、宮沢りえの表情にはハッとさせられますね。
タラちゃんとイクラちゃんの『仕事編』には、もう少し深みにある大人の台詞があるといいのにな・・・・・・・

でも好きなCMシリーズですよ。まだ続編があるのかな?
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by kitoudenki | 2008-11-18 23:41 | 日々の出来事 | Comments(0)

駿遠線跡を歩いてきました・5

新岡崎は交換設備も有る比較的大きな駅でした。
そしてその跡は消防小屋などになっており、軽便を顕彰する記念碑が建てられていました。まだ新しいようです。
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文面に少々?な部分も有りますが、その設置の趣旨を考えるとそんなことを言っては失礼でしょうか。(でも気になるな~)
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新岡崎から新三輪にかけては県道沿いを走ります。今では歩道の敷地な転用されていて分かりやすいです。
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鉄橋(当時は)を渡ると堤防の上を軽便は走って新三輪に到着します。ところが、新三輪駅は弁財天川の支流を河川改修した折、堤防の嵩上げ等を行ったためホームが撤去されてしまいました。
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それでもなんとなく雰囲気は感じていただけるのではと思います。
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因みにこれが県道から新三輪駅に至る道路になります。(いわゆる駅前通りです)
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新三輪を出て200mくらい進んだ所に、堤防から下る小さな段差が有ります。これが軽便の築堤へのアプローチの名残ではないか?と思われます。河川改修の折この部分だけ残ったのではないかと思います。写真の左手前側がそれになります。
この堤防から石津駅手前までの間は構造改善のため路盤がすっかり撤去されています。
そこで、大体の残存路盤の合流点であろうと思われる場所まで歩を進めました。
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そして見つけました。今回の探索で大きなキーワードとなっている境界杭!
おかげで合流点をほぼ特定する事が出来ました。県道沿いの歩道がそれらしい雰囲気なので、果たしてどこからが軽便跡なのか!疑問に思う事が多かったのですが、今後はこの手法が大きな戦力になりそうです。
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合流地点から程なく石津駅に到着です。中遠側で五十岡駅と共にホームが残っているのはこの2駅のみです。それゆえしばしカーブしたホームの縁石に見とれておりました。

ああ、美しい・・・・・・

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駅を出るとそこには踏み切りの警報機の跡が残っています。因みにこんな小さな踏切ですが、かつては浅羽、福田方面に至る重要な幹線道路だったわけです。したがって警報機の設置も必要だったのでは無いでしょうか。
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所で、踏切を挟んだ反対側なのですが、此処だけ異様に用地が広いわけです。先ほども有りました境界杭からして側線が十分確保できるだけの用地があったわけです。果たして昔は此処に何かの施設があったのでしょうか?今後の課題が1つ出来ました。
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石津を出ると左に緩いカーブと共に緩い勾配を駆け下りていきます。並行する道路より一段高い位置を軽便は走ります。
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そして弁財天側の支流を跨ぐ鉄橋の西側の脇には新川西駅が以前は有ったそうです。(廃止日は不明。写真右側の橋の袂辺りだったそうです。因みに此処のガーターも軽便時代の物です。)
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此処の駅は貨物(活きウナギ)専用駅で、弁財天川の生簀で養殖されていたウナギを出荷する為に、船でこの駅まで運び貨車に載せていたそうです。ホームもなく本線上に止まった貨車に
その都度ウナギの篭を載せていたそうです。
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さあ、いよいよ七軒町駅に到着です。目的地横須賀駅まで後一駅です。
七軒町ですが、軽便廃止後のホーム待合室は隣接するバス停の待合室に転用されたそうです。ところが台風などの度に横倒しになるほど飛ばされてしまい、最後には撤去されてしまったそうです。
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七軒町を出ると川横の築堤の上を走ります。この築堤ですが、これまた河川改修により当時の築堤とは違うそうです。
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築堤を真っ直ぐ走った軽便は県道と交差する手前で右にカーブし築堤を下ってきます。
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やがて橋を渡った県道と並行するように大須賀の町へ入っていきます。
そして前方のマックスバリューの看板下の空き地に注目です。当時の線路敷きがそのままの空き地として残っています!
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どうです。見事なまでに残っていますよ。流石にバラストや枕木の跡は無いでしょうが、はっきりと線路敷きの跡と確認できます。
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そこから先は民地に転用されていたりするのですが、ある駐車場には境界杭がまたまた出現!その延長を辿るとはっきりと線路敷きの跡が確認できます。(今回は大活躍の境界杭です)
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そうして軽便跡を辿りながらいよいよ横須賀駅が近づいてきました。
駅の端の部分と思われるところから敷地の確認をしていきます。南側の境は杭こそ残っていませんが、水路がそれらしいカーブを作って境界を主張していました。
写真の奥の木が生えている辺りから駅跡になります。
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さあ、いよいよ横須賀駅に到着です。当時の面影はバス停の名前くらいしか有りませんが、かつての広い敷地はドラッグストアーが建ち、それらしい敷地の雰囲気だけは残っています。
大須賀の町も旧の町並みは残っていますが、駅の辺りは大きく変わってしまったのですね。

大須賀まで来ましたが、まだ時間もあるようなので旧大須賀町役場東側の橋台跡まで行ってみることにしました。
途中大須賀小学校横の鉄橋跡を捜しに寄りました所、民家の敷地が線路敷き跡の形に仕切ってあり当時を偲ばせることが出来ました。
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さあ、いよいよ最終目的地の橋台跡に到着です。この地区に残る数少ない遺構の1つです。
願わくば何かしらのモニュメントとして保存を願いたいですね。


こうして袋井から横須賀まで歩いての探索を終えたわけですが、阿形さんから色々面白い話をお聞かせ願えて新しい史実を知ったり、境界杭に助けられて新発見があったりで大変充実した1日を過ごすことが出来ました。また今度次の区間を歩いてみたくなりました。
目標は駿遠線全線踏破!がんばるぞ~
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by kitoudenki | 2008-11-15 23:06 | 鉄・駿遠線 | Comments(3)

駿遠線跡を歩いてきました・4

浅名駅近くの食堂で昼食をとった後は五十岡へ向います。
そういえば、昼食をとった食堂のとなりにある浅羽図書館(以前軽便鉄道展が開催された場所です)の入り口前を軽便が横切っていたんですね。改めて位置関係が分かりました。
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旧浅羽町役場前を通過した線路跡は交差点を横断し、遊歩道(廃線跡)へと入っていきます。
当然のことながら当時はここに道路はありませんでした。写真左奥が旧道になります。
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遊歩道にはレールをイメージした模様にインターロッキングが敷設して有ります。見た感じは2フィート位かな?少々狭いようですが良い感じです。
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こちらも遊歩道の途中にベンチがあり、休憩が出来るようになっています。そして軽便の案内看板も設置されています。本当に浅羽地区は廃線跡が良く整備されていますね。
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休憩所を出ると程なく鉄橋が見えてきます。此処も軽便時代のガーターをそのまま使った橋梁になります。結構良い雰囲気に残っている貴重な場所だと思いますが如何ですか?
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そして鉄橋を渡るとそこには五十岡駅が姿を現します。今でもホームがそのまま残る貴重な駅跡です。ホーム上には待合室の基礎も残っており、再整備の上復元も可能では?と、思わせてくれます。
所でこの駅名のローマ字読みですが、復元駅名表は【IGOKA】ですが、当時の駅名表は【IGOOKA】となっておりOを2回読む形になります。これは以前くるまやさんにご指摘いただいて判明した事で、指摘されるまで全然気がつきませんでした。
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駅の横にはこんな案内板も設置されていました。
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五十岡を過ぎると路面は単調なアスファルト舗装に変わります。そして雰囲気も徐々に軽便らしく変化してきました。
此処の坂を上がると以前は切通しがあり、その上を華奢な人道橋が渡して有りました。結構好きな場所でしたが、数年前道路工事に伴う廃線跡のかさ上げが行われ撤去されてしまいました。
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それでも軽便らしい風景に中を廃線跡が続きます。そして坂を少し下るとそこには新岡崎駅跡が姿を現します。
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by kitoudenki | 2008-11-13 23:25 | 鉄・駿遠線 | Comments(2)

駿遠線跡を歩いてきました・3

さて、諸井についたわけですが、此処には面白い物が展示されています。
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軽便が如何に小さいか!を体験できるように762mm(軽便の線路幅)・1067mm(東海道線など在来線の線路幅)・1435mm(新幹線の線路幅)にそれぞれ線路が路面に埋め込まれて案内板と共に展示されています。(実測するとあまり正確では有りませんでしたが・・・・)
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これで軽便を知らない世代の人にも大きさを体感してもらえるわけです。
いっその事、軽便の車体を再現した休憩所なんて有るともっといいかもしれませんね。(マニアック過ぎる?)
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諸井を過ぎて今度は芝に向います。この辺りはひたすら直線で進んでいきます。写真を見ると、当時は村の裏手の茶畑の中を走っていたようですが、今では新興住宅地の中を進んでいきます。
諸井と芝の中間には当時の鉄橋が残っています。3連のうち1連は架け替えられていますが、残る部分はレンガ積みの橋台と軽便時代のガーターが残っていました。ガーターの裏側補強はアングルと板材のリベット接合で今では見られない作りでした。
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少し進むとそこにも蒸気のレリーフが有りました。サイズは結構大きいです。
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住宅地を過ぎ、お宮さんの横を抜けると農協の倉庫が見えてきました。そしてそこを過ぎると芝駅に到着です。
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此処が芝駅の跡です。此処は交換設備や貨物側線もあった駅でした。駅舎のあったところや貨物上屋があった辺りは広くなっており、その雰囲気を残しています。よく見ると駅名表の表示は【芝】ですが、その横の道しるべ(?)は【柴】になっています。
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また、駅舎跡に建つ記念碑の表示も【柴】になっていると阿形さんに教えていただきました。どういう謂れがあるんでしょうか?
また今度調べてみる事にしましょう。
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こちらは旧街道から眺めた芝駅です。正面に駅舎があったわけです。実は私、街道から駅に入る路地がすきなんです。道角には商店が建ち、その作りも角屋の造りになっている事が多く、当時の田舎町の中心地の賑わいを感じさせてくれます。比較的モダンなつくり(大正から昭和初期くらいの)の家屋を見る事も出来ますしね♪
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さあ、芝を出発しますと境界杭が多数良い状態で並んでいました。レールのマークもはっきり読み取れるようになっています。
ここら辺からでしょうか、境界杭を妙に意識し出したのは。(これが後の大発見(?)の伏線になるわけです。チョット大げさ?)
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程なく浅名に到着しました。ここも住宅に取り囲まれて当時の面影は余りありませんでした。
この日、浅名駅跡の横にある旧浅羽町役場ではイベントが行われており、大勢の人で賑わっていました。
さて、ここらでお昼にしましょうか。
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by kitoudenki | 2008-11-12 23:36 | 鉄・駿遠線 | Comments(0)

駿遠線跡を歩いてきました・2

さて、袋井駅を出発したまではいいのですが、構内を出るところでまたまた面白い物を教えていただきました。
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なんと電柱のガードに使われているのは、軽便で使われていたレールだったのです。米国はイリノイ製のレールだそうで、うっすらとメーカー名も読み取れます。
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構内を出て左に大きくカーブするとそこには袋井工場跡地(今は農協の葬祭センター)が有り、すぐに県道と平行して南へ進みます。
数年前までは関連会社の駿遠運送の倉庫が建っていましたが、それも今は取り壊されて存在しません。
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県道沿いの歩道が線路跡になるわけですが、その証拠に鉄道の境界杭が点々と法面に見て取れます。最初は県杭かと思ったのですが、近くに寄って良く見ると静鉄のマーク(レールのマーク)が入っており、鉄道の境界である事がよく分かります。実はこれが後の大発見(?)に繋がるわけでして・・・・・・

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さあ、次は結構メジャーな遺構である新幹線の架道橋の看板です。
実は此処のほかにもう一枚駿遠線の名前の入った看板があるんですよ。(この日初めて知りました)
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ガードを過ぎると小さな川を軽便は渡ります。今では橋台の跡にレンガ積みの橋台跡が残るのみです。
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実はこの橋台から柳原駅の先までは廃線跡がはっきりしません。原野谷川の改修と県道の拡幅によって大きく変わってしまっているからです。バス停近くの公民館がそうだと思われますが、確証はもてませんでした。
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この近辺は原野谷川の支流との合流点と言うことも有り、昔はよく川が溢れた事もあったそうです。河川改修が行われた現在でもその名残でしょうか、こんな物を見つけました。旧堤防でしょうか、堤防の間にセギ板を入れて水を止める設備が残っていました。
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柳原と諸井の間には、軽便と併走してきた県道の旧道へ別れる分岐点が有りました。旧道は川沿いに分かれて山の西側へ回りこみます。此処の山すそは大変勾配がきつく、『諸井の勾配』と言う事で蒸気列車の頃には大層運転に苦労したそうです。
山すそを東に分かれた線路跡は県道と分かれて遊歩道となり、いよいよ軽便の線路跡らしい雰囲気の所へ入り込んでいきます。
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旧浅羽町は軽便の顕彰に力を入れていたのでしょうか、此処の遊歩道はよく整備がされており、路面には色々なレリーフが埋め込まれていました。キハのレリーフなどはラジエターへの給水管なども表現されており、中々芸が細かいですよ!
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さあ、諸井の駅跡に到着です。木製の駅名標も建てられていていい雰囲気です。
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by kitoudenki | 2008-11-12 00:13 | 鉄・駿遠線 | Comments(3)

駿遠線跡を歩いてきました・その1

昨日の日曜日、駿遠線のことを研究されている阿形さんと一緒に袋井-大須賀間を歩いてきました。途中では色々な事を解説していただくと共に、新たな発見もあって楽しいウォーキングとなりました。
それでは当日の道中記をお楽しみください。
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当日はお寺さんの晋山式を終えてから袋井駅に向いました。朝9時頃、小雨のふる中を阿形さんと待ち合わせです。
(そういえば、こういうスタイルの昭和30年代に建てられた駅舎も、今ではあまり見かけなくなりましたね。)
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先ず最初に向ったのが中遠碑です。以前は新袋井駅構内にあったのですが、今は縁の有る会社の敷地内に移設されています。当日は会社が休みということも有り、柵の外からの撮影となりました。
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次は駅舎横から地下通路を通り駅南側の新袋井駅跡に向います。この地下道ですが、幅も狭く怪しい雰囲気ですが、よく見ると軽便のガーターがかかっていた痕跡も見て取れます。ガーターそのものは当時の物は残っていないのですが・・・・・・
新袋井駅構内はかつては島式ホームがあり、現在のJRのホームが有った場所にも軽便の線路が敷かれていました。
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by kitoudenki | 2008-11-11 00:00 | 鉄・駿遠線 | Comments(2)