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カテゴリ:鉄( 229 )

ロマンスカーのこと


小田急のロマンスカー、LSEがこの春で引退との事です。

SEに端を発するカラーを身にまとい、ビジネス特急ではない、特急が特急らしくあった時代の電車が消えてしまうと思うと、一抹の寂しさを感じずにはいられませんでした。(VSEこそありますが、伝統のカラーとはまた違う次世代の特別な列車であり、あれはまた違うときめきもあります。)

そんな訳で先日の事、LSEの最後の姿を求めてまいりました。降り立ったのは開成駅。駅前にはNSEが1両、大切に保存されています。
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流石に床下機器等は綺麗に撤去されていますが、車体はメンテもされているようでカーテンも含めて綺麗な状態でした。定期的な車内公開もされているようです。
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撮影場所に選んだのはここから少し歩いた田園地帯。折しも富士山をバックにVSEが通過してゆきました。
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やってくる列車を楽しみながら、お目当てのLSEを待ちます。やがて遠くにオレンジ色が見えてきました。はやる心を落ち着かせシャッターを切ります。幾つになってもこのカラーの特急はドキドキしてしまいます。

この後は場所を移し箱根登山などに行った後、箱根湯本への入線を狙います。
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並行する国道の渋滞をよそに堂々と進入するロマンスカー。足元には3線軌条。これぞ湯元の醍醐味です。
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最後は上りの列車を逆光で狙ってみました。

時代とともにサービス、立ち位置も変わってしまったロマンスカーですが、いつまでたっても子供のころ憧れたロマンスカーでいて欲しいと思った1日でした。
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by kitoudenki | 2017-01-24 21:11 | | Comments(2)

尾西線木曽川港駅

名鉄尾西線の一宮―玉ノ井ですが、かつては名岐のメインルートであり木曽川港駅までの路線を有していました。
木曽川橋梁の完成と一宮ー笠松の新ルートの完成の後は支線となり、戦時中は不要不急路線として路線の廃止、戦後の玉ノ井までの復活の後も末端部までは復活することはありませんでした。
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そんな尾西線の木曽川橋駅や木曽川港駅ですが、S23の航空写真にはっきりとその痕跡を確認することが出来ます。(国土地理院地図・航空写真閲覧サービスによる)木曽川橋構内は畑にでも転用されているのでしょうか?レールの痕跡こそありませんが、明確にその敷地は判別できます。駅舎らしきものも確認できます。木曽川港駅については、ホームらしきものも確認できます。笠松湊、木曽川湊、共に通運としての役割を担っていた時代であることがわかります。現在の様子はどうでしょうか?グーグルアースなどで照らし合わせてみてください。容易にレール跡や木曽川橋駅跡が辿れることかと思います。木曽川堤防から先については残念ながらその痕跡は無さそうです。木曽川港についても草木に覆われてかつての面影は無さそうです。片や対岸の笠松湊は史跡公園として整備されています。
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by kitoudenki | 2016-11-07 23:12 | | Comments(0)

小さな工事軌道の話

その昔、静岡市の南部は低湿地帯で田園の広がる所でした。

時は第2次大戦中、航空機の増産の必要性から、このエリアに住友金属プロペラ製作所と三菱金属が新たに軍需工場を建設することとなりました。

元々低湿地の場所故盛土の必要があり、客土工事用の軌道が敷設され工事が行われました。
当時の土木工事では至極一般的な工法です。

場所は現在のSBSから駿河総合高校のある辺りに住金が、そしてツインメッセ付近一帯に三菱が建設されました。

住金側の工事では採土場は現在の静大の場所(片山丘陵)にあり、昭和17~8年より大谷川の改修と共に工事は始まりました。

片山丘陵から造成地までは軌道が敷設され、工場南側の石田地区からも併せて採土が行われました。工事には機関車も使われていたそうです。

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この工事の過程で縄文遺跡が発見されたことは、皆さん周知の事かと思います。(現在の登呂遺跡)

戦後の航空写真ですが、扇状にレールを動かし採土する、セオリー通りの工法が土場で確認できて大変面白く思いました。

戦後は郷道として軌道敷も残っていたようですが、昭和42年頃に大谷川放水路と農地の構造改善のために軌道敷は消滅してしまいました。今では大谷街道の路地にその面影を残すくらいでしょうか?

一方の三菱側ですが、こちらも軌道があったものと思われますがはっきりとした確証がありません。

こちらの採土場は現在の小鹿病院付近の東名高速の真下になります。

これらの軌道は仮設の工事軌道のため、記録にも残りません。又、工場も空襲による被災、敗戦による混乱、戦後の産業構造の変化などで今ではその面影もありません。

かつてこの地にそんな歴史があったことを気にしていただけたらと思います。

航空写真出典

国土地理院 地図、航空写真閲覧サービスによる。


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by kitoudenki | 2016-10-27 21:36 | | Comments(0)

寛永寺坂駅

先月の8月18日、京成本線の旧寛永寺坂駅駅舎がついに解体に着手されました。
昭和22年に営業休止となった後は、幾多の変遷の後に貸事務所として駅舎は使用されていました。
戦時下における寛永寺トンネルの国の接収、その後の諸事情により不遇を託った駅でもありました。

そんな駅舎の解体の報を聞いたのは、JAMに参加のために上京の準備をしている最中でした。
予定を確認すると、解体着手日と上京日がちょうど同じ日です。
これなら何とか最後の姿を目にすることが出来そうだと、一路上野の地を目指しました。
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寛永寺坂に最寄り駅は国電の鶯谷駅になります。
鶯谷は未だにレール組の架線柱やホーム上屋の残る駅です。
地上側駅舎の地下道も、上屋は未だに木造のまま残っています。
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駅前を出て、色町を抜けると架道橋に突き当たります。こちらもご覧のように戦前からある架道橋で、橋の名前も寛永寺橋と言います。
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この架道橋を渡り少し歩くと味のあるおでん屋が現れます。
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するとその少し前方に白いバリケードで囲まれた敷地が目に飛び込んできました。
そう、そこが今回の目的地、寛永寺坂駅跡です。
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駅跡は敷地をバリケードで囲まれ、本体の解体にこそ着手はされていませんでしたが、既に作業員が入り準備が行われていました。
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見れば正面のシャッターが空いており、事務所ドアーらしきものがうっすらと見えました。
果たして当時からの調度なのでしょうか?
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駅舎側面には当時の物らしき窓枠も見えました。
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駅舎前には紀元2600年を記念した掲揚台も残されていました。
当時の世相を反映した遺物です。
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この時はやはり御名残りなのでしょうか、数人の方が同じように敷地の外からカメラを向けている姿が見られました。

聞けば最近、遂に地上部分は更地になってしまったとか。
130km/hで疾走するスカイライナーとこの忘れ去られた小さな駅、時の流れと世情に思いを馳せた夜でした。
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by kitoudenki | 2016-09-11 23:42 | | Comments(0)

光明電鉄、その企画展に寄せて

現在磐田市中央図書館において、磐田市歴史文書館主催の企画展『光明電鉄の消長』が開催されております。
会期はたいへん短く、今週末の9月11日までとなっております。
基本的には、先日の竜洋支所にて行われていた企画展の内容と展示資料は同じです。
今回は会場も広いこともあり、同所にて保管されています光電のマーク入り鉄蓋が公開されております。
元々図表等が残っておらず、経営資料のみがクローズアップされている光電ですが、このような当時を知る貴重な個体が公開される事は喜ばしいことです。
今回初見だったのは、上野部付近の築堤を走る電車の写真です。
営業時代の写真がほとんどない光電において、これは本当に貴重な写真であると思います。
この週末にでも磐田駅前から見附まで、ぶらりと散歩がてら、一枚の写真を求めて訪問されてはいかがでしょうか。
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by kitoudenki | 2016-09-08 13:41 | | Comments(0)

ああ、掛川駅3、4番線

東海道線の掛川駅在来線の旧3,4番線。(現1番線)
そこには国鉄時代から残るホーム木造上屋が建っています。
二俣線の低いホームにエンジン丸見えのキハ20が止まっているシーン。
そんな思い出の上屋がいよいよ撤去されることとなったようです。
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一部ではすでに工事が始まっています。
ここには倉庫があって、サボやリヤカーなどが置いてあった覚えがあります。
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夜空が見えら・・・・
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地下道のところも上屋は撤去されるようです。
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掛川駅からあの頃が消えようとしています。
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by kitoudenki | 2016-02-08 11:29 | | Comments(0)

大井川迂回橋、その痕跡を求めて

時は第2次大戦中、本土爆撃が激しくなってきた最中に、大動脈である東海道線の大井川鉄橋をバイパスさせるべく別線の計画がなされ、実際の工事も鉄道連隊の手によって着手されました。
工事自体は終戦とともに日の目を見ることなく中断され、実際に別線の橋梁を列車が渡ることはなかったといいます。
今回はそんな迂回線の痕跡を求めてのお話です。
大井川右岸側については、大井川鉄道金谷起点3100mmあたりを分岐して、大井川堤防までの区間に別線が建設されレールも敷設されたと云います。
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現在の分岐点付近の様子です。正確な地点は判りませんが、多分この付近ではないかと想像されます。
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そして近くに残る当時の線路敷跡。わずかな区間ですが、緩やかなカーブがその面影を残しています。
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大井川堤防の取り付け部分ですが、当時は築堤が構築されていたといいます。後に取り払われてこのような形になっていますが、この区間もわずかに車道として面影が残っています。
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対する島田側はどのようになっていたのでしょうか?
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黄線:島田軌道  黄柑色:迂回線と思われる
1946年の航空写真です。そう、終戦1年後なのですが、対岸に島田駅に至るそれらしい痕跡が見られます。
これを見た限り用地の接収までは行われてある程度の整地までは行われていたのではないのでしょうか。今ではその痕跡も見られませんが・・・・
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島田軌道を改軌して蒸気の試運転も行われたとの記事を読んだこともありましたが、一部島田軌道と重複する部分もありますから、島田駅からこのあたりまでは工事が行われていたのかもしれません。
その島田軌道自体も今や痕跡は河北製品所付近に見られるだけとなりました。
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by kitoudenki | 2016-01-28 10:24 | | Comments(0)

これで御名残り、阪堺住吉公園駅

今週は打ち合わせで大阪まで行く用があり、折角なので阪堺線の住吉公園駅にも足を向けてみました。
早朝の天王寺電停。遠くからゆらゆらやってきたのはなんと160!
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行先は浜寺公園でしたが、これに乗らない訳にはいきません。
心地よい揺れとモーター音を楽しんだ後は、後ろ髪ひかれる思い出住吉で降車。
160を見送った後は来年1月で廃止になる住吉公園駅へと向かいました。
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駅のホームでは名物金魚を確認。いい引き取り手が見つかるといいですね。
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その後は発着する電車を堪能し、住吉さんにもお参りをしていたら160が戻ってきました。
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実はこの場所大好きなんです。

ここで時間もよくなってきましたので、堺市へと向かいました。
そう、以前から行きたかった堺市のミュシャ館。
ミュシャの国内有数のコレクション館でして、じっくりまったり堪能してまいりました。ポスターの下絵や挿絵の原画などもあり、その感性は現代にも勝っているかもと思ってしまいました。
企画展では藤田嗣治描くところのフランス国鉄ポスターがありました。あれはよかった。
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帰りの電車を待っていると、なんとまた160がやってくるではありませんか。
この日は終日運用のようです。
なんて運が良いのだろう。
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ホクホク顔で帰途に就いたのは言うまでもありません。
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by kitoudenki | 2015-12-24 13:50 | | Comments(0)

阪堺電軌の架線柱

大阪は今に残る路面電車の阪堺電軌。
その歴史は古く、明治中期の馬車鉄から明治後期の電気軌道開業まで、複数の会社や路線の変遷があったようです。
そんな阪堺電軌の電化開業当時の架線柱が、未だに見られる所があるのです。
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場所は住吉停留所。
何気に見上げた架線柱には、明治44年のプレートが掲示してありました。
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この分岐も来年には様変わりしてしまうのでしょうね。
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by kitoudenki | 2015-12-24 13:15 | | Comments(0)

さようなら、熱海駅舎

東海道線の熱海駅舎。
大正14年に熱海線として開業以来、湯治客を出迎え幾星霜。熱海の玄関口としてその地に佇んでいました。
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そんな初代熱海駅舎ですが、新駅ビルの開業と建て替えのために解体される事になっていました。
今日の月曜日には防護覆いが掛けられ外観も見えなくなるということで、昨日の日曜日に最後の姿を見ようと駅頭へと降り立ってみました。
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今では当時の面影を残すのは屋根の出屋根位しかありませんが、永いことこの地に降り立つ人たちの記憶にある風景であったのではないでしょうか。
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既に駅務は新駅ビルに移り、旧駅はご覧にょうな有様です。
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初代駅舎が撤去された後には新駅ビルの残りが建てられ、新熱海駅の整備工事が完成するのでしょう。

熱海駅前と言えば、熱海軽便の機関車を思い浮かべる方も多いかと思います。
実際の熱海軽便の熱海駅はもっと海岸に近い位置だったのですが、ゆかりの地ということで鷹取からここに置かれてもう何年になるでしょうか。
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近年、駅前整備事業で位置が変わり半ば遊具のような扱いになっていたのですが、最近それを憂慮した有志の方々が柵を寄贈、設置してくださったようです。
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背の低い杭とチェーンで、景観にも配慮されていると思います。
これならこの機関車が遊具ではなく記念物でありモニュメントであるということを、説明看板を読まずとも理解していただけるのではと思います。
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by kitoudenki | 2015-11-30 17:19 | | Comments(0)