城東電軌

kitoudenki.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:鉄・駿遠線( 67 )

企画展『袋井と軽便鉄道』

袋井市歴史文化館で現在開催されています企画展、『袋井と軽便鉄道』を見学に行ってまいりました。
今までにない新資料ということを新聞で読み、果たしてどのような内容かと期待をしながらの見学でした。
内容としまして展示資料の数は少ないですが、地元常設委員や村議会の議事録に記載されていた軽便に関する記述のピックアップでした。
路線選定に関する会社側との折衝議事、芝駅の停留所から停車場への格上げ陳情議事など、今まで史実として知られていた鉄道の建設から開業に至る歴史を、生々しい証言で身近に語っている面白い資料ではありました。
特に藤相・中遠鉄道史以前に存在した駿遠鉄道(未開業・見附―焼津)に関する地元の折衝議事など、紆余曲折の路線設定や折衝具合をよく表しているのではと思い、興味深く拝見しました。
株式による建設資金に関する記述もあり、各村ごとに小口株主をいかに集めるか、大きな産業の無かった田舎の鉄道の経営を如実に物語っていました。
そういえば最近では大井川鉄道で経営側による全株式取得に際し、沿線住民に多くの開業時からの小口株所有者がおられたという報道を思い出しました。

今迄は会社経営資料、公文書資料からの読み解きで語られることが普通の鉄道史でしたが、地元に眠っていたこのような文書に着目し読み解いた担当者の方に拍手を送りたいと思います。
(お会いしたらお若い方でした!)

同企画展は11月12日まで袋井市歴史文化館(旧浅羽町役場2F)にて開催されています。
土日は閉館していますので注意が必要です。詳しくは袋井市のHPをどうぞ。
[PR]
by kitoudenki | 2017-10-05 20:56 | 鉄・駿遠線 | Comments(0)

からっ風に吹かれた軽便列車・巡回展の終着はこちらです

昨年から袋井市をスタートして、3市を巡回している静鉄駿遠線の今企画展ですが、最終となります御前崎会場展が1月13日より浜岡原子力館で行われています。
そんなわけで私も、冬のある晴れた日に会場を訪問してみました。
会場となる浜岡原子力館。
子供の頃から幾度となく来ていますが、なぜかその展示物にはワクワクしてしまいます。(いくつになっても)屋外には当時の取水トンネルで使ったシールドカッターなども保存されています。
そして何気なく蒸気タービンや水力発電ユニットなど、貴重なものもさりげなく保存されているところが侮れません。
b0059978_10521763.jpg



b0059978_10523044.jpg

原子力館の初代建屋も屋根だけはエントランスとして今でも健在です。
b0059978_10543723.jpg

さあ、それでは会場に入ってみましょう。
原子力館に入り左手の小ホールが巡回展の会場です。
御前崎市に所縁のある駅が順に紹介されていました。
当時の用品や解説、そして写真パネルの展示。あの頃の情景が偲ばれます。
当時を懐かしむ年代の方が数人、展示物を前に思い出話に花を咲かせていらっしゃいました。
b0059978_10585167.jpg

太田浜の駅名標は初めて見ました。
よくぞ今まで保管してくださったと思います。

帰りは浜岡の町を歩いてきました。
b0059978_1153546.jpg

かつては堀之内軌道の駅のあった区画で、町の中心でもあったところです。
今ではひっそりとしていますが、旧街道の交わるところであった痕跡を見つけました。
b0059978_1174661.jpg

右掛川堀之内道と有ります。
反対側には左・・・・・(うまく読めません)
そう、この路地が昭和中頃まで街道辻だったところなのです。

こんな小さな道しるべですが、その謂われを知るのもまた楽しみの一つです。
[PR]
by kitoudenki | 2016-01-20 11:22 | 鉄・駿遠線 | Comments(0)

巡回展のお知らせです

静岡鉄道駿遠線、このブログの読者の方にもその名前に郷愁を覚える方も多いのではないでしょうか。
近年沿線市町において盛んに行われている顕彰行事ですが、今回ご紹介するのは袋井市、掛川市、御前崎市の3会場の巡回企画展なのです。
b0059978_1032152.jpg

各会場ごとにテーマを設け、それぞれに違った切り口を見せてくれるようです。単に同じ資料の巡回ではないところがうれしいです。
これはもう各会場に足を運ぶ楽しみが出来ましたね。
b0059978_10345543.jpg

会場、会期は案内ポスターを参照していただきたいと思います。
又、会期中の12月19日(土曜日)には会場の掛川市立大東図書館において、静鉄駿遠線についての著書も多数出版されています阿形昭先生の講演会も予定されているとのこと。(変更の可能性もあり。正式発表をお待ちください)

このほかにも沿線には近藤記念館前の復元バグナル大須賀の郷土資料館、陸軍遠江射場跡など軽便ゆかりの見どころもあります。

ぶらりと冬の遠州に、からっ風に吹かれにいらしてはいかがでしょうか。
[PR]
by kitoudenki | 2015-10-30 10:55 | 鉄・駿遠線 | Comments(0)

春のご近所散歩は駿遠線

少し時間が空いてしまいましたが、4月の中旬に駿遠線の跡を阿形先生と再び歩いてまいりました。
今回は新三俣―桜が池の区間です。
新三俣から菊川右岸までの痕跡は、構造改善によって完全に消え去ってしまっています。わずかに西千浜駅の切り通しと、南に延びる県道供用区間に、その面影を残すのみです。
そんな道中で、今回は元職員の方のお話を伺う事が出来ました。
お宅へ伺いお話を伺うと、色々と当時の面白いエピソードをお聞きする事が出来ました。
曰く。
当時は藤枝駅の2階に駿遠線全線、秋葉線を管轄する管理部門が有り、そこで資手配やら公的な報告書なども作成していたとの事。すなわち、車両竣工図作成、運輸報告などもそちらで作成していたそうである。
職員も運転課4名、運輸4名、統計審査4名、保線4名という陣容だったという事です。(除く現業部門)
駿遠線の名物機関車であるDBであるが、その製造工場の見分け方の一つにヘッドライトの取り付け位置が有るようだ。各工場(各職人か?)によって取り付け位置に好みが有るようで、特色が現れている。
蒸気機関車は静缶剤などの薬剤は特に入れていなかったようである。スケールの付着など大丈夫だったのだろうか?熱効率や使用する水など、結構効率が悪かったのではと想像する。(私の想像)
蒸気機関車は夜間は置き火を残すことはせず、毎朝係の物が早朝に火を入れていたとの事である。軽便蒸気のサイズなら、さほど苦ではなかったかもしれない。
石炭は粉炭を固めた物を使ったいたとの事。
蒸気機関車の全般検査は浜松工機部に委託していたそうで、袋井駅の積み替えホームから乙種回送で浜松へ発送していたそうである。
何年か前に藤枝市で保存されている立山重工の蒸気を大井川で修理した時、丁度大井川のチキに乗せられている姿が見られたが、あの姿が当時袋井―浜松工機部で見られたわけである。
中遠鉄道も戦時中はご多分にもれず燃料難でガソリンカーは代燃装置を搭載していたそうだが(全てかどうかは不明)、戦後も昭和24~5年ころまでそのまま搭載していたそうである。結局ガソリンカーとしては復活せず、ディーゼルエンジンに載せ替えたそうである。
当時は車両用のエンジンは種類も少なく、民生(UD)などは背が高く使えなかった。依っていすゞが好んで使われていたとのことである。
この方は、藤枝の管理部門に数年いらっしゃった後、静岡線へと移られて20、100、などそれに続く自社製造の電車にも関わられたとの事でした。

お宅を辞した後は元のルートを浜岡方面に向かい歩を進めました。
菊川を渡ったところでは、今回入手した当時の写真(O.K様撮影、掲載了承済)を見ながら現況との確認を行いました。
b0059978_22455439.jpg


b0059978_22463952.jpg

現在のR150は直線ですが、当時の線路敷きは緩やかなカーブを描きながら菊川堤防に向かっているのが解ります。
千浜駅あとでは復元されていた駅名票が見当たりませんでした。
b0059978_2247052.jpg

R150に沿って見え隠れする廃線跡を追いながら、塩原新田まで歩を進めます。
b0059978_22474751.jpg

塩原新田の東側は、今でも当時の面影が一番残る区間です。
b0059978_22472667.jpg


b0059978_22485100.jpg

下草に隠れた路盤を見ていれば、まるでそこが現役の軽便のような錯覚さえ覚えます。
ところが、R150もこの辺りまで拡幅工事が進んでおり、以前と比べてこの場所の雰囲気も変わってきてしまいました。
この東側にあった軌道敷きの跡も同様です。
軌道敷きがR150を渡り北側の藪へ入ったところの橋台跡へ行ってみました。
b0059978_22483041.jpg
b0059978_22484899.jpg

b0059978_2249621.jpg

以前2か所の橋台を見つけた所です。(1個は旧陸軍時代の遺構ではないかと推測)
橋台は草むらの中に埋もれていましたが、現況を確認出来ました。
新しいほうは(駿遠線時代と思われる)はガーターを固定していたアンカーも確認出来ました。
この前後も藪の中に軌道敷きが完全に残っているのですが、如何せん藪の勢いが凄く踏破するのも一苦労です。
b0059978_2249312.jpg

藪を抜けると浜岡を経て新野川橋梁跡までやってきました。
橋を渡ると、そこからは築堤で桜が池へと上って行くのですが、その扇状に広がる敷地がいつの間にか太陽光発電施設になっていました。それでも用地が当時のままの線形でしたので、十分昔を忍べるのがせめてもの救いでした。
b0059978_2249527.jpg

此処で築堤跡の脇にあった陸軍の(遠江射場)用地杭を確認に行きます。
築堤から15mも脇に入ると目指す杭はそこにありました。
b0059978_22501463.jpg

今まで気が付きませんでしたが、よく見るとその奥にももう1本。ひっそりと木陰に佇んでいました。
b0059978_22503554.jpg

桜が池はその痕跡はまったく残っていませんが、ほぼ近い位置に復元駅名票が建っています。かつてはもっと高い位置に築堤が築かれ、新野川からサミットを目指して連続勾配を駆け上がっていました。
今は築堤も崩され、のどかな畑が広がるばかりです。
b0059978_22505165.jpg


帰りは掛川市内某所に今だ放置されている、陸軍の用地杭を確認してまいりました。
まさかと思いましたが、今だ放置されたままでした。
教育委員会のみなさん、保全措置をよろしくお願いしますよ!
b0059978_2251694.jpg

[PR]
by kitoudenki | 2015-05-24 22:51 | 鉄・駿遠線 | Comments(1)

題してその名も『駿遠線』

静岡鉄道駿遠線、静岡県は中西部の人にとって懐かしい思い出の鉄道ですが、そんな駿遠線を精力的に研究されている阿形昭先生が新刊を出されたので紹介をしたいと思います。
題して駿遠線』
b0059978_20113910.jpg

名前からも御判りの通り、かつて阿形先生の出されていた著書の集大成ともなろう内容なのです。
思い出話集という内容ではなく資料集と云うべき内容で、そのジャンルは多岐に渡っています。
カラーグラフからモノクロ写真。(菊川橋梁の陸軍専用線の路線改良シーンの写真まである!)
当時の広報から廃線に至る経緯が判る社内報まで掲載されています。
時刻表から車両竣工図まで、珍しい所では富士見橋の人車の時刻表とか運転手の交番表とかも掲載されています。
どうしてもページ数の関係で広く浅い感は否めませんが、これだけ多岐にわたる資料を一冊にまとめられた書籍は今までなかったのではないでしょうか?
私はキハD14や15の新製やパイル工法の橋梁の社内報記事がとても面白かったです。
b0059978_20302139.jpg

おまけにダイヤのコピーと走行音のCDが付属しています。

全国の本屋さんで購入できますが、直接著者の阿形昭先生からも購入できます。

連絡先はこちら。

aa762aa@yahoo.co.jp

こちらのアドレスまでメールで申し込んでくださいね。

以上、お勧めの一冊でした。
[PR]
by kitoudenki | 2015-03-26 20:43 | 鉄・駿遠線 | Comments(0)

そろそろいも切りの季節ですね。歩いてきました中遠路

駿遠線リターンズ。11月に阿形先生と歩いてまいりました。
少し時間が経ってしまいましたが、今回は大須賀―三俣駅間のレポをお送りしたいと思います。
b0059978_947789.jpg


旧大須賀役場を出発し、東へ進み交番の角を曲がると軽便の橋台が残るポイントに出ます。
b0059978_9462473.jpg
b0059978_948454.jpg

かつて道路がこの橋梁の下をくぐっていました。この道は、古くからの地域の生活や産業に於いて重要な道路だったようです。
しかし、軽便のガーターが低いため、南のスイカ畑からの荷を運ぶのに不便を強いられ、この東側に踏切を設けた通称『スイカ道路』として有名な農道が整備されました。
b0059978_948355.jpg

このスイカ道路、今でもその痕跡を見ることが出来ます。舗装こそされていませんが、立派な私道として使用されています。
河原町駅跡を過ぎると、軌道敷きが姿を現してきます。
b0059978_9492917.jpg
b0059978_9504567.jpg

水路に掛る当時のガーター橋を確認していると、妙なものに気がつきました。
よく見ると踏切用PC床板ではないですか!
b0059978_9495141.jpg

溝の寸法を測るとニブロク用です。溝の高さも30Kgレール相当ですから、当時の記録と合致します。この先に旧R150の踏切がありましたから、そこで使われていたのでしょうか。
b0059978_9501193.jpg

なぜここに埋められているのか解りませんが(ガードレール基礎代わり?)、自分も昔、横須賀駅構内に同じものが積まれていたのを思い出しました。
旧R150を渡り山裾に軌道敷きは勾配を上って行きます。
b0059978_95159.jpg

最近は軽便鉄道廃線跡ウォークが定期的に行われて居る性でしょうか、以前は藪こぎをしなければいけなかったこの道も、歩きやすいように整備されておりました。
b0059978_9512589.jpg

この日は天気も良く、高度を上げた軌道敷きからは遠く遠州灘も望めました。
b0059978_9514526.jpg


b0059978_952657.jpg

野賀ではかつて掛川まで通学していたという方から、お話を伺うことが出来ました。
軽便で袋井まで出て、そこから国鉄で掛川まで通学されていたとか。
地理的に南大坂からバスで掛川に向かったほうが近いような気もするのですが、料金(通学定期)や時間が違ったのでしょうか?近隣の貨物も取り扱っていたお話も伺うことが出来ました。
野賀を出ると新道により旧路盤は消えてしまいます。
b0059978_953053.jpg

一部茶畑の中に小道が残りますが、そこがまたいい雰囲気です。
やがて南大坂へと到着です。ここからは、かつて存在した陸軍の射場への専用線が分岐していました。
今はその痕跡どころか、南大坂駅があった痕跡すら年々消え去ろうとしています。
b0059978_9532571.jpg

この狭い路地に掛川からのバスやR150を通るバスが出入りし、なお且つ飲食店で賑わっていたとは、今となっては想像することも困難なのではないでしょうか?
南大坂を出て最初の交差点には警手小屋がありました。
b0059978_9534499.jpg

そしてここからは完全に路盤は消滅。しばしルートをエスケープです。
通りから南に入ると、そこから三俣駅までは軌道敷きが残っています。
b0059978_954856.jpg

よく見れば、その延長線上の住宅の敷地の境も、それらしい線形になっています。
此処はいつ来ても雰囲気がいいですね。
b0059978_9554196.jpg

沿線の畑は当地らしく砂地が多く、名産の干し芋(いもきり)用のサツマイモの収穫が行われていました。
ほどなく今回のゴールである、新三俣駅に到着です。
住宅の土留めに当時の面影が伺えます。
b0059978_956258.jpg

駅北側には当時から存在したであろう、構内を横切る脇道の存在が確認できました。
入口のスロープの横には門構えのように用地杭が立っていました。
b0059978_9561671.jpg

結果的に路線は南へと向きを変えて延長されてしまいましたが、本来の計画であればそのまま東進し菊川を少し北に向きを変え直角に渡った後に、千浜の集落の北側を通る筈でした。(中遠鉄道時代には)
b0059978_9563587.jpg

駅の端に当時のまま残る松林。そんな時代の変遷と栄華を見ていたのでしょうか。
[PR]
by kitoudenki | 2014-12-09 09:57 | 鉄・駿遠線 | Comments(0)

軽便探索リターンズ・袋井駅からてくてくと♪・その3

岡崎駅を出た所にはこんな看板が。
b0059978_19324868.jpg

えっ?
電車・・・・・・
いくらなんでも電車は無いよ・・・・・

気を取り直して先へ進みましょう。
線路は県道沿いに進みますが、軽便の開通当初は岡崎駅は村の外れ、何も無い所に造られていたのです。
b0059978_19372321.jpg

此処で川を渡りますが、河川改修で堤防も嵩上げされルートも多少変わってしまっていますが、当時はこの堤防上(横)を軽便が走って居ました。
そして堤防上に新三輪駅がありました。
b0059978_1954299.jpg

これは私が37年くらい前に撮った写真です。まだこの頃はホームが残っていたんですよ。

暫く堤防を進むと、線路敷きは左にカーブをして、集落をかすめるように大きなS字を描いて石津駅に至ります。
b0059978_8182942.jpg

この区間は構造改善により、当時の痕跡がすっかり消えさってしまっています。
写真の農道の近くを目印に堤防を左に曲がり、集落の先端をかすめ、家屋の先の荒れ地(元の畑地)が線路敷きの跡になるようです。
b0059978_203186.jpg

石津駅にはお馴染のホームの擁壁がお出迎え。
今やすっかりお馴染ですね。
b0059978_2051579.jpg

駅を出た所の踏切には警報機の基礎がヒッソリと・・・・
b0059978_206277.jpg

前回の記事にも書きましたが、石津駅の道路を渡った反対側なのですが、此処の鉄道用地が異様に広いのは何故なんでしょう?
用地杭が示す通り、平地の部分が全て鉄道用地なのですよね。
石津の側線が有ったとか、保線設備とかが有ったとの情報も無いし・・・・
公文書でも調べるしか無さそうでしょうか。
b0059978_2095811.jpg
b0059978_2094898.jpg

なだらかな下り坂を降りると、新川西駅に到着です。
鰻を積み込むための臨時駅だったそうで、新川という川の西だったからそういう名前だったそうです。
b0059978_20123722.jpg

特にホームが有った訳でもなく、線路端に踏み台の様な物が有っただけだったそうです。
養鰻池は、此処から南に行った橋の所に有ったそうで、船で此処まで運んできたそうです。
b0059978_201522.jpg

さあ、先に進みましょう。
程なく七軒町に到着です。手前の空き地が駅跡で、待合室のみに小さな駅です。
駅前に有った造り酒屋も今は小売のみで、かつての蔵は残っている物の、その当時の繁栄は知る由もありません。
b0059978_20184122.jpg

七軒町を出ると、線路敷きは水路と田圃に挟まれた築堤の上を走ります。
b0059978_20195026.jpg

そして、県道がS字を描いて大須賀の町に入ると、軽便は県道に添って街中へと入って行きます。
b0059978_20205927.jpg

この辺りまでは、ほぼ歩道の部分が線路敷きの様です。
ブロック塀の所で、荒れ地が出てきますが底が線路敷きの痕跡です。
そして寿司屋の所で県道と別れて待ちの南側へと入って行きます。
b0059978_2023427.jpg

今では街中のほとんどが私有地となっており、一部の私道(市道)にその痕跡を見ることしか出来ません。
そして新横須賀駅に到着です。
b0059978_20291032.jpg

今ではドラッグストアーが建つこの地も、かつては南遠の交通と物流の要所でもありました。
当時の面影を残す駅前旅館が彼の地で盛業中である事は、何かほっとする事でもあります。
b0059978_20315735.jpg

こうして駿遠線の探索・リターンズの第1回を終えた訳ですが、前回からの間に記念公園の開設、袋井駅の工事など、大きな変化がありました。
こうして考えると、現役鉄道だけでなく廃線跡も日々の記録をしておくことも大切なのかな?
と改めて提議された気分になりました。
何はともあれ、阿形先生又よろしくお願いします。お世話になりました。

おまけ

道中でこんな物が。
幕車とEMV
b0059978_2044153.jpg
b0059978_20435194.jpg

[PR]
by kitoudenki | 2013-11-11 20:44 | 鉄・駿遠線 | Comments(4)

軽便探索リターンズ・袋井駅からてくてくと♪・その2

さあ、それでは諸井から次に歩を進めましょう。
b0059978_19495036.jpg
諸井の駅を出ると、その先にはコレ又お馴染のモニュメントが。
軽便と在来線と新幹線のレール幅を体感できる例のアレです。
b0059978_19501690.jpg

ちょっと説明看板も色褪せが酷くなってきたかな?
b0059978_19505879.jpg

歩道のインターロッキングも整備し直されているようなので、こちらの手入れもその内されるのではないかと思われます。
b0059978_19531232.jpg

しかし、かつては街道の裏側の畑の中を走っていた軽便も、今ではその沿線もすっかり住宅街になってしまいました。こんな光景も、昔は想像もつかなかったでしょうね。
b0059978_19563071.jpg

やがて忘れられたように残された、当時の橋梁が現れました。
b0059978_19591229.jpg
b0059978_19585674.jpg

前回の訪問時と同じように、無事を確認出来ました。

やがて集落が近づいてきました。
b0059978_2015758.jpg

農業倉庫の裏を過ぎると芝駅に到着です。
b0059978_202387.jpg

此処は交換設備、貨物側線を有した駅でそれなりの規模を誇っていたのですが、今その跡地を見回すと、こんなに狭い所にアレだけの設備が有ったのだと、改めて軽便の小ささを実感した自分がそこに居ました。
b0059978_2062185.jpg

芝駅には軽便碑が建立されており、最近その現代訳分を読ませていただく機会がありました。
それには、軽便の開通による、その利便や恩恵に関する感謝が刻まれていました。
地域にとっての交通革命、いや、交通だけではなく全てに於いてエポックメイキングだったのかもしれませんね。
b0059978_20103755.jpg

芝駅を出ると、当地に良く見られる槇の生け垣(槇囲)の立派な屋敷沿いに軽便は進んで行きます。
b0059978_20125962.jpg
b0059978_20131889.jpg

歩道には所々、軽便を顕彰するモニュメントプレートが。
b0059978_2014843.jpg

この辺りも住宅街がしばらく続きます。昔は茶畑が広がって居た筈。
b0059978_20151087.jpg

やがて少し開けたところに出てきました。そこには浅名の復元駅名標が。
b0059978_201732.jpg

ところが、実際の浅名駅は30mくらい藤枝寄りの所なのです。
各地に復元駅名標が建てられていますが、諸事情により必ずしも正しい位置に建てられているとは限らないのです。(地主の許可とか、本当に間違えて建てられているとか、物理的に立てる事が出来ないとか・・・)
その点も皆さん御理解いただいて、寛容な見識で・・・・・・
b0059978_20233185.jpg

この辺りからは田園風景が広がってきます。
旧国道を軽便は横断しますが、当時はこのような大きな交差点は有りませんでした。
旧国道(横須賀街道)と同笠へ行く旧街道のみでした。
b0059978_20291659.jpg

田園の中を進む軽便。この辺りは比較的平坦な所です。
b0059978_20304815.jpg
b0059978_20303117.jpg

やがて小さな川を渡りますが、此処は当時のガーターがそのまま残っています。
片側の橋台もレンガ積みです。
b0059978_20334345.jpg
b0059978_20332835.jpg

橋を渡ると五十岡駅に到着です。
此処は当時のホームの擁壁がそのまま残っている事で有名な駅です。
近年、ポケットパークという事でご覧の様に整備されたのですが、何か違和感があるように感じるのは私だけでしょうか?
決して整備される事を否定するつもりはないのですけれど・・・・・・
b0059978_20374169.jpg

五十岡駅を出ると、暫くは平坦な道を進みますが、やがて上り勾配となり茶畑の中へ進んで行きます。
坂の頂上から見る光景は、本当に長閑な風景です。
b0059978_2053084.jpg

b0059978_20414231.jpg
b0059978_20412894.jpg

坂の頂上から、今度は茶畑の中を下って行きます。
この辺りは当時の面影が良く残っています。
b0059978_20435435.jpg

この坂を下ると岡崎駅です。蒸気時代は岡崎駅を出発してすぐに上り勾配の為、運転には苦労をしたと聞いています。
b0059978_20463071.jpg

岡崎駅に到着です。現在はかつての敷地の真ん中に道路が横切り、消防小屋と緑地公園とになっています。
b0059978_20484513.jpg

[PR]
by kitoudenki | 2013-11-07 20:48 | 鉄・駿遠線 | Comments(4)

軽便探索リターンズ・袋井駅からてくてくと♪

静岡鉄道駿遠線、今更改めて説明するまでもありませんが、昨年の11月に廃線跡全線の探索を終えたこの鉄道を今回再度巡ってみようと言う事で、阿形先生と再び歩いてまいりました。
前回こここを訪ねたのは2008年の事でした。
あれから5年、袋井駅は橋上化工事のまっ盛りで、駅南の様相もすっかり様変わりしています。
(ついでに客待ちのタクシーが、見事なまでにクルーとコンフォートしか居ない!)
b0059978_1891760.jpg

駅の南北を結んでいた地下道も、この後どうなるのかな?
地下道を通り、駅南の軽便の袋井駅へと向かいます。
b0059978_18111726.jpg

かつての構内は新駅の工事中で、囲いの中の様子を窺い知ることは叶いません。
駅に進入する部分の石垣に、かつての面影を見るのみでした。
b0059978_18132676.jpg

袋井工場の跡は葬祭場となっています。中遠鉄道開業時には、この場所が袋井駅の有った場所でした。
b0059978_1815388.jpg

反対側から見て見ましょう。
正面左側に工場跡地が広がっています。初代駅跡はこの正面辺りだったのでしょうか?
現在の県道は、袋井駅の西側をアンダークロスで東海道線とクロスしていますが、かつてはこの道が県道で踏切で東海道線を越していました。(いつ頃までなのかは判りません)
今でもその面影が残っていました。
b0059978_1820381.jpg

袋井駅を出て、歩道沿いに歩いて行くと、以前は路側に静鉄の用地杭が数本残っていましたが、今は完全に消えてしまった様です。
【11月6日追記:9月の時点で、4本の用地杭が確認できたとの情報を頂きました。探索当日、雨上りの草むらの中で、十分確認できていなかったかもしれません。】
b0059978_1823686.jpg

新幹線のガード下には、廃線跡ウォークの定番撮影地、駿遠線の看板が♪
b0059978_18244786.jpg
b0059978_18243477.jpg

今やすっかり名撮影地ですね~

柳原駅手前にはレンガ積みの橋台跡が。
b0059978_18261228.jpg

此処で歩道部分から路側に空き地がオフセットしているのが判りますか?
此処が線路敷きの跡なんです。
b0059978_18271630.jpg

この先の柳原駅付近は、河川改修で河の位置も変わり、平行する道路も堤防のかさ上げで路盤高も変わってしまっています。
駅跡は公民館の辺りだそうですが、その痕跡を辿る事は叶いませんでした。

原野谷川の支流を渡った所で道路は堤防を降りますが、その脇がかつての線路敷きになります。
そして当時の路盤高もこの高さだそうです。
b0059978_18335529.jpg

この辺りは原野谷川やその支流の集まる所で、その下流には太田川も控えています。
水か豊かな穀倉地帯なのですが、昔から出水に悩まされて地域でもあり、治水の歴史も調べ出すと興味が尽きません。
そんな歴史の一コマがこんな所にも。
路肩の草むらの中に、今は使われていない樋門がぽつんと・・・・
『谷坂樋門』と立派な額も入っていました。今では背後に立派なポンプ設備が控えています。
b0059978_18412283.jpg

県道と並走しながら山裾を走ると、やがて鎮守の森を境に県道と軽便は左右に分かれて行きます。
b0059978_1850171.jpg
b0059978_18495995.jpg

かつての県道は右に分かれ、軽便は左に分かれ切り通しを進んでいたようです。
軽便の末期には、鎮守の森の切り通しも切り崩されて、軽便の線路敷きと合わせて県道も拡幅されていたようです。(現在の形がそうで、歩道部分が線路敷き)
b0059978_18541366.jpg

暫く行くと、県道と別れて畑の中へと進んで行きます。
インターロッキングで舗装をされた遊歩道となっています。所々に軽便をモニュメントとしたレリーフも飾ってあります。
b0059978_18554548.jpg

沿線は茶畑も広がるのどかな景色が。思ったより起伏が激しい地形で、軽便も蒸気時代には運行に苦労したとか。(先程の切り通しまで上り勾配)
b0059978_18584535.jpg

沿線にはこんな木の注意看板が。子どもたちへの注意喚起なのでしょうけれども、何故かニンマリ♪
b0059978_18595384.jpg

やがて諸井駅跡へ到着です。
東屋もあり、一服をするには丁度好さそう。
b0059978_1911623.jpg
b0059978_191352.jpg

復元駅名標も綺麗に維持されている様子。良く見るとQRコードが設置されているみたい。
コレを携帯で読み取ると、当時の動画が見れると言うスグレモノ!
軽便ウォークを盛り上げるアイテムも、此処まで来るとアイデア勝負ですね。
b0059978_198698.jpg

[PR]
by kitoudenki | 2013-11-05 19:04 | 鉄・駿遠線 | Comments(5)

駅前通り

或る軽便の駅前通り。
b0059978_22365276.jpg

お昼近くにもなろうと言うのに、人影も見えない静かな通り。
どこからか、開け放った窓から微かなTVから流れる歌謡曲。
b0059978_2232561.jpg

角の床屋を曲がれば駅が見えてくる筈。
遠くでホイッスルが聞こえる。
b0059978_223452100.jpg

さあ、駅に急ごう。
b0059978_22361945.jpg

[PR]
by kitoudenki | 2013-11-04 22:37 | 鉄・駿遠線 | Comments(3)