城東電軌
2017-10-06T17:56:14+09:00
kitoudenki
趣味
Excite Blog
企画展『袋井と軽便鉄道』
http://kitoudenki.exblog.jp/27253024/
2017-10-05T20:56:00+09:00
2017-10-06T17:56:14+09:00
2017-10-05T20:56:31+09:00
kitoudenki
鉄・駿遠線
今までにない新資料ということを新聞で読み、果たしてどのような内容かと期待をしながらの見学でした。
内容としまして展示資料の数は少ないですが、地元常設委員や村議会の議事録に記載されていた軽便に関する記述のピックアップでした。
路線選定に関する会社側との折衝議事、芝駅の停留所から停車場への格上げ陳情議事など、今まで史実として知られていた鉄道の建設から開業に至る歴史を、生々しい証言で身近に語っている面白い資料ではありました。
特に藤相・中遠鉄道史以前に存在した駿遠鉄道(未開業・見附―焼津)に関する地元の折衝議事など、紆余曲折の路線設定や折衝具合をよく表しているのではと思い、興味深く拝見しました。
株式による建設資金に関する記述もあり、各村ごとに小口株主をいかに集めるか、大きな産業の無かった田舎の鉄道の経営を如実に物語っていました。
そういえば最近では大井川鉄道で経営側による全株式取得に際し、沿線住民に多くの開業時からの小口株所有者がおられたという報道を思い出しました。
今迄は会社経営資料、公文書資料からの読み解きで語られることが普通の鉄道史でしたが、地元に眠っていたこのような文書に着目し読み解いた担当者の方に拍手を送りたいと思います。
(お会いしたらお若い方でした!)
同企画展は11月12日まで袋井市歴史文化館(旧浅羽町役場2F)にて開催されています。
土日は閉館していますので注意が必要です。詳しくは袋井市のHPをどうぞ。
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イベント出展のお知らせ
http://kitoudenki.exblog.jp/27143147/
2017-09-24T23:00:25+09:00
2017-09-24T23:00:27+09:00
2017-09-24T23:00:27+09:00
kitoudenki
イベント
当日は新製品といたしまして、加藤10t坑内用機関車(1/87・9mm)をご用意いたしました。
こちらは動力、ヘッドライト、カプラー別で、4,500円+税となっております。
動力はナローガレージ様のφ7・WB15の物を別途お求めください。
その他には、再生産品や小物アクセサリーの新製品、試作品の特別配布等を取りそろえ皆様のお越しをお待ちしております。
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夏の終わりの草軽紀行
http://kitoudenki.exblog.jp/27111315/
2017-09-12T22:39:06+09:00
2017-09-12T22:39:06+09:00
2017-09-12T22:39:06+09:00
kitoudenki
鉄な旅
友人が主催ということと18きっぷ最終日ということもあり、今回は一部新幹線エスケープ区間もありますが、小田原ー羽根尾(長野原)間の各停の旅と洒落込むことと致しました。
先ずは小田原駅で新幹線から高崎行きのローカルに乗り換えます。高崎からは長野原線に乗り換えますが、あわよくば115でも来ないかと期待したのですが、やはり来たのは211でした。
この時間、ローカルは長野原止まりのようです。この先の北軽井沢へと向かう草軽交通のバスも休日は長野原発着が無いようなので、JR関東バスと徒歩の連絡で羽根尾駅前の草軽交通バス停まで移動です。
距離にして1Km少し、街道沿いの古い家並みを見ながらの散策を楽しめました。
20分くらい待ったでしょうか、軽井沢行きのバスがやってきました。
乗り込むとどんどん山道を登り高度を上げてゆき、一気に景色も変わってゆきます。
一気に高原の景色に代わりしばらく走ると、程なく北軽井沢に到着です。
バス停は旧駅構内(側線、荷扱い場所)と同じ場所にあり、道を挟んだ目の前には旧北軽井沢駅舎が静かに佇んでいました。
駅舎にお邪魔すると主催者である鉄道青年さんがいらっしゃいました。
ご挨拶を済ませ、展示を拝見ました。
Oナローのモジュールの展示と、長野原町に因んだ写真を駅舎内に所狭しと展示されており、どれも当時の様子が生き生きと写されている物ばかりでした。
他にも観光客、別荘滞在の方、地元の当時を懐かしむ方など、入れ代わり立ち代わり多くの方が展示を懐かしそうに見ておりました。
駅の周りは北軽井沢という場所柄か、9月という時期のせいか、しんと静まり返っていました。
やがて帰りのバスの時間となり、会場を辞することとしました。
帰りは羽根尾駅から長野原線接続があり一安心でした。
羽根尾―高崎―小田原とローカルで帰り着き最後は新幹線のお世話となりました。
こちらの写真展、会期は9月24日までとなっております。
期間中の土日祝日には主催者様も会場にいらっしゃるとのことです。
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京都市電の溝付きレール
http://kitoudenki.exblog.jp/26964531/
2017-07-02T22:30:00+09:00
2017-07-02T22:30:06+09:00
2017-07-02T22:30:06+09:00
kitoudenki
鉄な旅
なんと溝付きレールではありませんか!
何のために設置されているのか?架道橋のスロープの擁壁に等間隔に埋め込まれていました。
古の京都市電の面影を感じた古都の朝でした。
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鉄道模型市へのご来場ありがとうございました
http://kitoudenki.exblog.jp/26826272/
2017-05-01T10:06:00+09:00
2017-05-01T10:06:11+09:00
2017-05-01T10:06:11+09:00
kitoudenki
イベント
皆様におかれましては、弊ブースにお越しいただき誠にありがとうございました。
お陰様で多くの皆様と楽しいお話をさせて頂くことが出来ました。
ここに改めて御礼申し上げます。
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ロマンスカーのこと
http://kitoudenki.exblog.jp/26581098/
2017-01-24T21:11:00+09:00
2017-01-24T21:13:47+09:00
2017-01-24T21:11:33+09:00
kitoudenki
鉄
小田急のロマンスカー、LSEがこの春で引退との事です。
SEに端を発するカラーを身にまとい、ビジネス特急ではない、特急が特急らしくあった時代の電車が消えてしまうと思うと、一抹の寂しさを感じずにはいられませんでした。(VSEこそありますが、伝統のカラーとはまた違う次世代の特別な列車であり、あれはまた違うときめきもあります。)
そんな訳で先日の事、LSEの最後の姿を求めてまいりました。降り立ったのは開成駅。駅前にはNSEが1両、大切に保存されています。流石に床下機器等は綺麗に撤去されていますが、車体はメンテもされているようでカーテンも含めて綺麗な状態でした。定期的な車内公開もされているようです。撮影場所に選んだのはここから少し歩いた田園地帯。折しも富士山をバックにVSEが通過してゆきました。やってくる列車を楽しみながら、お目当てのLSEを待ちます。やがて遠くにオレンジ色が見えてきました。はやる心を落ち着かせシャッターを切ります。幾つになってもこのカラーの特急はドキドキしてしまいます。
この後は場所を移し箱根登山などに行った後、箱根湯本への入線を狙います。並行する国道の渋滞をよそに堂々と進入するロマンスカー。足元には3線軌条。これぞ湯元の醍醐味です。最後は上りの列車を逆光で狙ってみました。
時代とともにサービス、立ち位置も変わってしまったロマンスカーですが、いつまでたっても子供のころ憧れたロマンスカーでいて欲しいと思った1日でした。]]>
尾西線木曽川港駅
http://kitoudenki.exblog.jp/26350497/
2016-11-07T23:12:00+09:00
2016-11-07T23:11:05+09:00
2016-11-07T23:11:05+09:00
kitoudenki
鉄
木曽川橋梁の完成と一宮ー笠松の新ルートの完成の後は支線となり、戦時中は不要不急路線として路線の廃止、戦後の玉ノ井までの復活の後も末端部までは復活することはありませんでした。
そんな尾西線の木曽川橋駅や木曽川港駅ですが、S23の航空写真にはっきりとその痕跡を確認することが出来ます。(国土地理院地図・航空写真閲覧サービスによる)木曽川橋構内は畑にでも転用されているのでしょうか?レールの痕跡こそありませんが、明確にその敷地は判別できます。駅舎らしきものも確認できます。木曽川港駅については、ホームらしきものも確認できます。笠松湊、木曽川湊、共に通運としての役割を担っていた時代であることがわかります。現在の様子はどうでしょうか?グーグルアースなどで照らし合わせてみてください。容易にレール跡や木曽川橋駅跡が辿れることかと思います。木曽川堤防から先については残念ながらその痕跡は無さそうです。木曽川港についても草木に覆われてかつての面影は無さそうです。片や対岸の笠松湊は史跡公園として整備されています。]]>
この背徳感が堪らないー真昼間から頂いてきました、花の舞酒造の蔵開き試飲会♪
http://kitoudenki.exblog.jp/26331702/
2016-10-31T23:21:00+09:00
2016-10-31T23:20:37+09:00
2016-10-31T23:20:37+09:00
kitoudenki
日々の出来事
このイベントは蔵出しの新酒が飲み放題と有って、毎年大勢の人でにぎわうイベントなのです。流石に飲酒のイベントと有って、天浜線で最寄りの宮口駅へと向かいました。掛川駅でもそれとわかる大勢のお客さんで、列車は既に席が埋まっていました。
私は友人と待ち合わせがありますので、二俣駅でちょっと写真を撮りながら時間調整です。二俣駅で予定の列車を待っていると、直虎のラッピング車がやってきました。家康がムキムキのイケメンだったり、ゲームキャラの戦国武将は何ともイメージ昇華がうまいものだと感心した次第です。予定していた列車で友人と合流し宮口へ。宮口では折り返し用の出発信号を撮影してから会場の酒造場へと向かいました。会場に着くと既に多くの宴席が至る所に!酒造場と向かいの庚申寺境内まで人でいっぱいです。受付でグラスをもらい、早速お酒を注いでもらい頂きました。ぐび💛純米しぼりたて生原酒が五臓六腑に染み渡ります。昼間っからお酒を頂くこの背徳感がまた堪りません。心置きなくおいしいお酒を頂いた後は、酔い覚ましに門前をぶらりと散歩です。此処も多くの人で賑わっていますね。宮口は庚申寺の門前を中心に発展した街ですから、この通りが昔からのメインの通りになります。門前を下って東に曲がるとそこには西遠軌道の宮口駅の跡があります。今は道路になっていますが、当時は全線専用軌道で宮口の町の裏に駅がありました。西遠軌道は大日本軌道の改軌で不要になった資材を譲渡、転用の上で建設された軌道でした。案内看板にはコッペルとなっていますが、実際には雨宮の機関車が3両活躍しています。折角の顕彰看板なのですが、できればもう少し正しい内容にしていただければと思います。そんな西遠軌道も二俣線の開通、昭和大恐慌や距離の短さ(歩いた方が早い)のために早い時期に廃止となってしまいました。秋の日の一日は吹く風も酔った体に心地よく、再び天浜線の宮口駅に戻り帰路に就いたのでした。]]>
小さな工事軌道の話
http://kitoudenki.exblog.jp/26310838/
2016-10-27T21:36:00+09:00
2016-10-27T21:36:21+09:00
2016-10-27T21:36:21+09:00
kitoudenki
鉄
当時の土木工事では至極一般的な工法です。
場所は現在のSBSから駿河総合高校のある辺りに住金が、そしてツインメッセ付近一帯に三菱が建設されました。住金側の工事では採土場は現在の静大の場所(片山丘陵)にあり、昭和17~8年より大谷川の改修と共に工事は始まりました。片山丘陵から造成地までは軌道が敷設され、工場南側の石田地区からも併せて採土が行われました。工事には機関車も使われていたそうです。この工事の過程で縄文遺跡が発見されたことは、皆さん周知の事かと思います。(現在の登呂遺跡)戦後の航空写真ですが、扇状にレールを動かし採土する、セオリー通りの工法が土場で確認できて大変面白く思いました。戦後は郷道として軌道敷も残っていたようですが、昭和42年頃に大谷川放水路と農地の構造改善のために軌道敷は消滅してしまいました。今では大谷街道の路地にその面影を残すくらいでしょうか?一方の三菱側ですが、こちらも軌道があったものと思われますがはっきりとした確証がありません。こちらの採土場は現在の小鹿病院付近の東名高速の真下になります。これらの軌道は仮設の工事軌道のため、記録にも残りません。又、工場も空襲による被災、敗戦による混乱、戦後の産業構造の変化などで今ではその面影もありません。かつてこの地にそんな歴史があったことを気にしていただけたらと思います。 航空写真出典国土地理院 地図、航空写真閲覧サービスによる。]]>
寛永寺坂駅
http://kitoudenki.exblog.jp/26186068/
2016-09-11T23:42:00+09:00
2016-09-12T09:03:40+09:00
2016-09-11T23:41:11+09:00
kitoudenki
鉄
昭和22年に営業休止となった後は、幾多の変遷の後に貸事務所として駅舎は使用されていました。
戦時下における寛永寺トンネルの国の接収、その後の諸事情により不遇を託った駅でもありました。
そんな駅舎の解体の報を聞いたのは、JAMに参加のために上京の準備をしている最中でした。
予定を確認すると、解体着手日と上京日がちょうど同じ日です。
これなら何とか最後の姿を目にすることが出来そうだと、一路上野の地を目指しました。
寛永寺坂に最寄り駅は国電の鶯谷駅になります。
鶯谷は未だにレール組の架線柱やホーム上屋の残る駅です。
地上側駅舎の地下道も、上屋は未だに木造のまま残っています。
駅前を出て、色町を抜けると架道橋に突き当たります。こちらもご覧のように戦前からある架道橋で、橋の名前も寛永寺橋と言います。
この架道橋を渡り少し歩くと味のあるおでん屋が現れます。
するとその少し前方に白いバリケードで囲まれた敷地が目に飛び込んできました。
そう、そこが今回の目的地、寛永寺坂駅跡です。
駅跡は敷地をバリケードで囲まれ、本体の解体にこそ着手はされていませんでしたが、既に作業員が入り準備が行われていました。
見れば正面のシャッターが空いており、事務所ドアーらしきものがうっすらと見えました。
果たして当時からの調度なのでしょうか?
駅舎側面には当時の物らしき窓枠も見えました。
駅舎前には紀元2600年を記念した掲揚台も残されていました。
当時の世相を反映した遺物です。
この時はやはり御名残りなのでしょうか、数人の方が同じように敷地の外からカメラを向けている姿が見られました。
聞けば最近、遂に地上部分は更地になってしまったとか。
130km/hで疾走するスカイライナーとこの忘れ去られた小さな駅、時の流れと世情に思いを馳せた夜でした。
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夏の伊勢路
http://kitoudenki.exblog.jp/26183296/
2016-09-10T23:38:00+09:00
2016-09-11T09:44:39+09:00
2016-09-10T23:37:22+09:00
kitoudenki
鉄な旅
そんな訳で近鉄で伊勢まで行き、そこから名古屋へ戻る事としました。
まずは難波から伊勢行の時間を調べると、程なく発車の特急があることがわかりました。
大急ぎでチケットと飲み物を支度してホームに駆け込みます。
汗をぬぐいながら、流れゆく生駒の山並みを肴に冷たいものを頂きました。
鈴鹿山地を抜けて平野を抜けて、中川のデルタ線を過ぎればやがて目的地の伊勢市駅です。
あえて山田でなく伊勢市で降りるところが乙なところです。
日が傾きかけたとはいえやはり夏の日は暑く、車外へ一歩出たとたんにまとわりつくような空気に汗が噴き出してきます。
伊勢市駅の表へ出てみると、丁度そこには三重交通の神都線もどきバスがやってきました。
駅の戻ると、先日廃止になったばかりの伊勢区の構内が、ガランと広がっていました。
まだ少し日もあるようなので、少し足を延ばしてみましょうか?
車窓に五十鈴川に掛かる神都線橋梁跡を眺めながら、松下駅までやってきました。
周りには数件の人家と休耕田の広がる、何もない無人駅です。
近くには伊勢でよく見かける真珠漬の看板広告。
さっき見送った『伊勢』が鳥羽から戻ってくるまでの間、この小さな田舎の駅で、沈みゆく夕日を楽しむとしましょう。
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光明電鉄、その企画展に寄せて
http://kitoudenki.exblog.jp/26176438/
2016-09-08T13:41:54+09:00
2016-09-08T13:41:07+09:00
2016-09-08T13:41:07+09:00
kitoudenki
鉄
会期はたいへん短く、今週末の9月11日までとなっております。
基本的には、先日の竜洋支所にて行われていた企画展の内容と展示資料は同じです。
今回は会場も広いこともあり、同所にて保管されています光電のマーク入り鉄蓋が公開されております。
元々図表等が残っておらず、経営資料のみがクローズアップされている光電ですが、このような当時を知る貴重な個体が公開される事は喜ばしいことです。
今回初見だったのは、上野部付近の築堤を走る電車の写真です。
営業時代の写真がほとんどない光電において、これは本当に貴重な写真であると思います。
この週末にでも磐田駅前から見附まで、ぶらりと散歩がてら、一枚の写真を求めて訪問されてはいかがでしょうか。
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湘南色の電車に乗りたくて
http://kitoudenki.exblog.jp/26163814/
2016-09-03T23:29:20+09:00
2016-09-03T23:28:42+09:00
2016-09-03T23:28:42+09:00
kitoudenki
鉄な旅
掛川を始発で出て帰りのホームライナーに間に合うようにするには、現地滞在は1時間がリミット!
果たして信越本線に115が来るか107が来るか、富くじのような工程ですがともかく出発です。
高崎に着くと信越本線ホームには115が待機中。無事に目的の湘南色の電車に乗れました。
遠くに妙義山を望みながら田園を進むにつけ、だんだんと車窓の景色は勾配に変化をつけてゆきます。
信越本線はやはり山線なんだ・・・・
そんなことを実感します。
横川駅構内に入り引き上げ線が見える頃には、これだけの勾配が実感できます。
ああ、これから碓氷峠に挑むのだ、かつてそう思ってワクワクした日の事を思い出します。
到着した普通列車は駅舎側の1線を普段は使用。かつて特急列車や釜めしの立ち売りで賑わったホームには人っ子一人居やしません。
遠くに峠を望みながら、その先に鉄路はもうありません。(営業線としての)
1列車見送った後は、荻野屋さんで一休み。
とりもも弁当が欲しかったのですが、土日しか販売していないようなので、帰りの信越線車中(115のBOXシート)で食べようと釜めしを所望。
横川で降りた皆さんは荻野屋さんの写真をよくUPされていますが、どれもみな食堂部分ばかり。随分こじんまりした印象なのですが、ところがどうして、本店自体なかなか立派な構えの建物で今でも釜めしの調理を行っているとの事。
さあ、ぼちぼち入線時間かな。
ホームで待っていると入ってきたのは107系。信越本線車中で釜めしを食べることはあきらめました。
山を下る107系を楽しみ、程なく終点の高崎に。
高崎線の発車までは、ここを発着する115を眺めていました。次に来る時はどんな景色になっているだろう・・・
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萩間川橋梁
http://kitoudenki.exblog.jp/26148662/
2016-08-29T17:18:29+09:00
2016-08-29T17:18:03+09:00
2016-08-29T17:17:18+09:00
kitoudenki
未分類
同橋梁は旧藤相鐡道エリアであることから、中遠エリアと比べ設備投資がなされており、河川工事の関係もあるが静鉄独自の新工法の橋梁に架け替えられているのが特徴です。
中間部の4径間は静鉄設計の新しいガーターに架け替えられています。ガゼットも使わずブレスを直接主材にリベット止め。それもフランジの下側に。桁がたわんだ際に上部が開いてしまわないか心配になります。7mほどのスパンなら心配しなくてもよかったのかな?
両端の径間のみは真面(?)な桁が使われています。
旧橋からの流用なのでしょうか。
橋脚はパイルを使った工法。φ400のパイルの上に横桁を繋いでいます。
面白いのは橋台も同じ工法で作ってあること。
擁壁とは独立した橋台が法面に埋まって桁を支えています。
その他にも観察をするといろいろと面白い事実がわかりました。
現物が目の前にあるのだからこそ、しっかりと観察をする目を養うことが大切です。
自分なりの記録と検証が出来ました。
尚、写真は通行止め以前に撮影したものです。
現在、同橋梁は通行禁止になっております。
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静岡県の私鉄、記念乗車券展
http://kitoudenki.exblog.jp/26141161/
2016-08-26T22:26:05+09:00
2016-08-26T22:25:45+09:00
2016-08-26T22:25:45+09:00
kitoudenki
日々の出来事
来る9月3日(土)~10月2日(日)にかけて、御前崎市の市立図書館アスパルにおいて静岡県の私鉄記念乗車券展が開催されます。
記念乗車券を通して県内私鉄を知っていただくとともに、各鉄道の出来事を知っていただくことが出来ます。
各鉄道共にデザインや趣向を凝らした切符を発行していることがよくわかります。
よく見ると、今は亡き路線の姿を垣間見る事も出来ます。
私鉄のほかに、新幹線関係の展示も充実しています。
全てをお見せはできませんが、ぜひ会場まで足をお運びいただければと思います。
貴重なものもまだ沢山眠っているかもしれませんよ。
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