城東電軌

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駿遠線跡を歩いてきました・2

さて、袋井駅を出発したまではいいのですが、構内を出るところでまたまた面白い物を教えていただきました。
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なんと電柱のガードに使われているのは、軽便で使われていたレールだったのです。米国はイリノイ製のレールだそうで、うっすらとメーカー名も読み取れます。
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構内を出て左に大きくカーブするとそこには袋井工場跡地(今は農協の葬祭センター)が有り、すぐに県道と平行して南へ進みます。
数年前までは関連会社の駿遠運送の倉庫が建っていましたが、それも今は取り壊されて存在しません。
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県道沿いの歩道が線路跡になるわけですが、その証拠に鉄道の境界杭が点々と法面に見て取れます。最初は県杭かと思ったのですが、近くに寄って良く見ると静鉄のマーク(レールのマーク)が入っており、鉄道の境界である事がよく分かります。実はこれが後の大発見(?)に繋がるわけでして・・・・・・

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さあ、次は結構メジャーな遺構である新幹線の架道橋の看板です。
実は此処のほかにもう一枚駿遠線の名前の入った看板があるんですよ。(この日初めて知りました)
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ガードを過ぎると小さな川を軽便は渡ります。今では橋台の跡にレンガ積みの橋台跡が残るのみです。
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実はこの橋台から柳原駅の先までは廃線跡がはっきりしません。原野谷川の改修と県道の拡幅によって大きく変わってしまっているからです。バス停近くの公民館がそうだと思われますが、確証はもてませんでした。
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この近辺は原野谷川の支流との合流点と言うことも有り、昔はよく川が溢れた事もあったそうです。河川改修が行われた現在でもその名残でしょうか、こんな物を見つけました。旧堤防でしょうか、堤防の間にセギ板を入れて水を止める設備が残っていました。
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柳原と諸井の間には、軽便と併走してきた県道の旧道へ別れる分岐点が有りました。旧道は川沿いに分かれて山の西側へ回りこみます。此処の山すそは大変勾配がきつく、『諸井の勾配』と言う事で蒸気列車の頃には大層運転に苦労したそうです。
山すそを東に分かれた線路跡は県道と分かれて遊歩道となり、いよいよ軽便の線路跡らしい雰囲気の所へ入り込んでいきます。
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旧浅羽町は軽便の顕彰に力を入れていたのでしょうか、此処の遊歩道はよく整備がされており、路面には色々なレリーフが埋め込まれていました。キハのレリーフなどはラジエターへの給水管なども表現されており、中々芸が細かいですよ!
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さあ、諸井の駅跡に到着です。木製の駅名標も建てられていていい雰囲気です。
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by kitoudenki | 2008-11-12 00:13 | 鉄・駿遠線 | Comments(3)
Commented by シゲ at 2008-11-12 23:26 x
夏に城東電軌さんのご案内で少しだけ廃線跡巡りをしましたが、駿遠線は長距離でしたから全線となると大変ですよね。
知っている方に案内してもらうと、目につきにくい遺構も発見できるのが強みです。
またそちら方面に出かけた際にはいろいろと行ってみたいと思います。
Commented by kitoudenki at 2008-11-12 23:45
その時は是非教えてください。また現地を御案内しますよ。
なんなら奥山線でも如何ですか?
Commented by シゲ at 2008-11-13 22:52 x
そうですねぇ。是非また出かけたいです。
尾小屋のキハ3の故郷、奥山線にも行ってみたいです!