城東電軌

kitoudenki.exblog.jp
ブログトップ

大井川迂回橋、その痕跡を求めて

時は第2次大戦中、本土爆撃が激しくなってきた最中に、大動脈である東海道線の大井川鉄橋をバイパスさせるべく別線の計画がなされ、実際の工事も鉄道連隊の手によって着手されました。
工事自体は終戦とともに日の目を見ることなく中断され、実際に別線の橋梁を列車が渡ることはなかったといいます。
今回はそんな迂回線の痕跡を求めてのお話です。
大井川右岸側については、大井川鉄道金谷起点3100mmあたりを分岐して、大井川堤防までの区間に別線が建設されレールも敷設されたと云います。
b0059978_1051646.jpg

現在の分岐点付近の様子です。正確な地点は判りませんが、多分この付近ではないかと想像されます。
b0059978_10745.jpg

そして近くに残る当時の線路敷跡。わずかな区間ですが、緩やかなカーブがその面影を残しています。
b0059978_1084637.jpg

大井川堤防の取り付け部分ですが、当時は築堤が構築されていたといいます。後に取り払われてこのような形になっていますが、この区間もわずかに車道として面影が残っています。
b0059978_10111426.jpg

対する島田側はどのようになっていたのでしょうか?
b0059978_1014195.jpg


b0059978_10143181.jpg

黄線:島田軌道  黄柑色:迂回線と思われる
1946年の航空写真です。そう、終戦1年後なのですが、対岸に島田駅に至るそれらしい痕跡が見られます。
これを見た限り用地の接収までは行われてある程度の整地までは行われていたのではないのでしょうか。今ではその痕跡も見られませんが・・・・
b0059978_10221775.jpg

島田軌道を改軌して蒸気の試運転も行われたとの記事を読んだこともありましたが、一部島田軌道と重複する部分もありますから、島田駅からこのあたりまでは工事が行われていたのかもしれません。
その島田軌道自体も今や痕跡は河北製品所付近に見られるだけとなりました。
[PR]
by kitoudenki | 2016-01-28 10:24 | | Comments(0)