城東電軌

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春のご近所散歩は駿遠線

少し時間が空いてしまいましたが、4月の中旬に駿遠線の跡を阿形先生と再び歩いてまいりました。
今回は新三俣―桜が池の区間です。
新三俣から菊川右岸までの痕跡は、構造改善によって完全に消え去ってしまっています。わずかに西千浜駅の切り通しと、南に延びる県道供用区間に、その面影を残すのみです。
そんな道中で、今回は元職員の方のお話を伺う事が出来ました。
お宅へ伺いお話を伺うと、色々と当時の面白いエピソードをお聞きする事が出来ました。
曰く。
当時は藤枝駅の2階に駿遠線全線、秋葉線を管轄する管理部門が有り、そこで資手配やら公的な報告書なども作成していたとの事。すなわち、車両竣工図作成、運輸報告などもそちらで作成していたそうである。
職員も運転課4名、運輸4名、統計審査4名、保線4名という陣容だったという事です。(除く現業部門)
駿遠線の名物機関車であるDBであるが、その製造工場の見分け方の一つにヘッドライトの取り付け位置が有るようだ。各工場(各職人か?)によって取り付け位置に好みが有るようで、特色が現れている。
蒸気機関車は静缶剤などの薬剤は特に入れていなかったようである。スケールの付着など大丈夫だったのだろうか?熱効率や使用する水など、結構効率が悪かったのではと想像する。(私の想像)
蒸気機関車は夜間は置き火を残すことはせず、毎朝係の物が早朝に火を入れていたとの事である。軽便蒸気のサイズなら、さほど苦ではなかったかもしれない。
石炭は粉炭を固めた物を使ったいたとの事。
蒸気機関車の全般検査は浜松工機部に委託していたそうで、袋井駅の積み替えホームから乙種回送で浜松へ発送していたそうである。
何年か前に藤枝市で保存されている立山重工の蒸気を大井川で修理した時、丁度大井川のチキに乗せられている姿が見られたが、あの姿が当時袋井―浜松工機部で見られたわけである。
中遠鉄道も戦時中はご多分にもれず燃料難でガソリンカーは代燃装置を搭載していたそうだが(全てかどうかは不明)、戦後も昭和24~5年ころまでそのまま搭載していたそうである。結局ガソリンカーとしては復活せず、ディーゼルエンジンに載せ替えたそうである。
当時は車両用のエンジンは種類も少なく、民生(UD)などは背が高く使えなかった。依っていすゞが好んで使われていたとのことである。
この方は、藤枝の管理部門に数年いらっしゃった後、静岡線へと移られて20、100、などそれに続く自社製造の電車にも関わられたとの事でした。

お宅を辞した後は元のルートを浜岡方面に向かい歩を進めました。
菊川を渡ったところでは、今回入手した当時の写真(O.K様撮影、掲載了承済)を見ながら現況との確認を行いました。
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現在のR150は直線ですが、当時の線路敷きは緩やかなカーブを描きながら菊川堤防に向かっているのが解ります。
千浜駅あとでは復元されていた駅名票が見当たりませんでした。
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R150に沿って見え隠れする廃線跡を追いながら、塩原新田まで歩を進めます。
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塩原新田の東側は、今でも当時の面影が一番残る区間です。
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下草に隠れた路盤を見ていれば、まるでそこが現役の軽便のような錯覚さえ覚えます。
ところが、R150もこの辺りまで拡幅工事が進んでおり、以前と比べてこの場所の雰囲気も変わってきてしまいました。
この東側にあった軌道敷きの跡も同様です。
軌道敷きがR150を渡り北側の藪へ入ったところの橋台跡へ行ってみました。
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以前2か所の橋台を見つけた所です。(1個は旧陸軍時代の遺構ではないかと推測)
橋台は草むらの中に埋もれていましたが、現況を確認出来ました。
新しいほうは(駿遠線時代と思われる)はガーターを固定していたアンカーも確認出来ました。
この前後も藪の中に軌道敷きが完全に残っているのですが、如何せん藪の勢いが凄く踏破するのも一苦労です。
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藪を抜けると浜岡を経て新野川橋梁跡までやってきました。
橋を渡ると、そこからは築堤で桜が池へと上って行くのですが、その扇状に広がる敷地がいつの間にか太陽光発電施設になっていました。それでも用地が当時のままの線形でしたので、十分昔を忍べるのがせめてもの救いでした。
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此処で築堤跡の脇にあった陸軍の(遠江射場)用地杭を確認に行きます。
築堤から15mも脇に入ると目指す杭はそこにありました。
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今まで気が付きませんでしたが、よく見るとその奥にももう1本。ひっそりと木陰に佇んでいました。
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桜が池はその痕跡はまったく残っていませんが、ほぼ近い位置に復元駅名票が建っています。かつてはもっと高い位置に築堤が築かれ、新野川からサミットを目指して連続勾配を駆け上がっていました。
今は築堤も崩され、のどかな畑が広がるばかりです。
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帰りは掛川市内某所に今だ放置されている、陸軍の用地杭を確認してまいりました。
まさかと思いましたが、今だ放置されたままでした。
教育委員会のみなさん、保全措置をよろしくお願いしますよ!
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by kitoudenki | 2015-05-24 22:51 | 鉄・駿遠線 | Comments(1)
Commented by 駿遠線 三大歩鉄 at 2015-06-29 12:48 x
駿遠線廃線跡が、よくわかりました。
職員のお話も、貴重ですね。