城東電軌

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軌道物語

天竜川沿いの集落相津から山間の佐久まで、かつては軌道と呼ばれる森林軌道が走って居ました。
そんな軌道の事を知って現地を訪れたのは数年前。確たる収穫も無いまま時が過ぎ、すっかりその事も忘れてしまっていた今日この頃。
相津にある道の駅、花桃の里で【むかしの話をしよう相津・佐久・大川】と言う展示が行われている事を知り、ふと佐久の軌道の事を思い出しました。

ひょっとして、軌道の資料や話が聞けるのではないか?

調べると会期も23日まで。早速展示を見てまいりました。
会場の花桃の里は船明ダムから少し上流に昇った所。国鉄佐久間線の鉄橋が目印です。
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会場には昔を懐かしむ地元小学校の卒業生の皆さんが、昔話に花を咲かせていました。
そしてその一角には、地元の産業であった林業コーナーが。
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お目当ての軌道の写真も多数展示されていました。
キャプションによると、大正8年に「龍川森林軌道株式会社」として発足したのが始まりとのこと。
この地は民有林であった為、地元有志により民営の軌道として設立されたのでした。
運行は乗り下げで、動力は導入されていませんでした。
昭和30年頃から林道が整備された為、軌道は撤去されてしまいました。それまでは佐久に至る車道は無く、軌道が唯一の交通手段でありました。
軌道の敷設には、近くに有った峰の沢鉱山の軌道を参考にしたようです。
果たしてゲージはどの位だったのでしょうか?
そこまでは判りませんでした。
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展示の中には木馬(きんま)のカラー写真もあり、お聞きすると30年位前までは実際に使用していたそうです。
これには驚いてしまいました。つい最近まで木馬使いの方が現役でいらっしゃったとは!
その方は流石にもう使えはしないそうですが、まだお元気でいらっしゃるそうです。
そして木馬もまだ残っているとの事。これは是非技術の継承をして頂きたいです。
現在の集材は伐採後すぐに搬出をしてしまいますが、木馬の場合は伐採後半年くらいは現地に寝かせて乾燥させます。そうする事により重量は約半分位になり、収材、搬出もより容易になる訳です。
全て人力による訳で、何れ土場で乾燥をさせるのですから、至って合理的な手法で有ります。

展示品中に、気になる物がありました。トンネルの写真です。
お聞きすると此処のすぐ近くとの事。
早速行ってみました。
道の駅を出て、川を渡り佐久に向けて歩き始めると佐久間線の廃墟が現れます。
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ここのトンネルは、ワインセラーとして使われているようですね。
更に進んでゆくと、軌道敷きらしい小道が現れます。そしてそこには目指すトンネルが。
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ホントに小さなトンネルです。
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中は素掘りで、手を伸ばせは天井に手が届く位の狭さです。
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トンネルの反対側。佐久側の入り口です。左の小道が気になります。
開通当初は迂回していたのかな?
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山肌にへばりつく様な軌道跡です。写真を見ると桟橋で架設している所もあり、いかに厳しい条件で敷設していたかが伺い知れます。
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このダム湖に通じる川の下を軌道は通って居たのですね。
軌道は県道の橋を潜り(ダムに沈む前の旧道の)天竜川の川べりまで延びていたそうです。
そこからかつては天竜や鹿島に、筏や木流しで運ばれていたのでしょう。
船明には川湊もあり、そこで筏に組んでいたのかもしれません。
現在の船明ダムの所には、光明電鉄の駅も予定されており、実際に土木工事も行われていたとか。
もし開通していれば、天竜運輸の様なシーンが北遠でも見られたのかもしれません。
道の駅の場所には大きな製材所があり、製材所が出来てからは全て製材所へ搬入されていたそうです。
但し、一度川べりの終点に降ろした物を、製材所まで運ぶと言うルートは変わらなかったと言います。
大きな取引が成立した後は二俣の町に繰り出して、1週間くらいは芸者衆を上げて飲めや歌えの大盤振る舞いをしたそうです。そんな賑わいも花街も、今の二俣には無いです。

多くの山の生活を支え、地域振興を目指し実現した先達たちの想いを胸に感じ、ダム湖に写る古の光景を想いながら北遠を後にしました。














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by kitoudenki | 2014-02-22 00:21 | Comments(2)
Commented by k-bem at 2014-02-22 09:26 x
貴重なお話ですね!遠州で林鉄といえば気田川沿いのが有名かな?年上の従兄弟たちが便乗した話を聞いて、羨ましかったっけ。
それにしても断面の小さなトンネル!乗り下げはさぞや恐怖だったろうねぇ。
Commented by kitoudenki at 2014-02-22 09:48
北遠は営林署管轄の物以外にも、民間の軌道も多かったと聞いています。
便乗は羨ましいですね。今にして思えば良いなと思いますが、当時は山に行こうと思うとその位しか手段が無かったのかもしれませんね。
軌道が脆弱だったからか、写真でもあまり材を積み上げている様には見えませんでした。
大きな丸太に掘田を仕掛けて丸太の上に跨って・・・・・・此処ではとてもできない芸当ですね。