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いよいよファイナル駿遠線探索記・さあ行くぞ終点藤枝へ

少し前になりますが、阿形先生と静鉄駿遠線の廃線跡巡りの最終区間、大井川―藤枝を歩いてまいりました。思えば数年前の袋井―大須賀間を皮切りに歩き始めたこの探索もいよいよ最終工程(あっ、駿河岡部が残ってた・・・・・まあそれは置いといて)ですね。
急に強くなった初夏の日差しの下、大井川堤防の左岸をそれでは藤枝に向かってスタートすることにいたしましょう。
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大井川の堤防には軽便の橋台がまでも残っており、その橋の位置を知ることができます。
人車時代の木造併用橋はその上流、その後の旧富士見橋(鉄道併用橋時代)は現富士見橋と軽便の橋梁の間に有りました。(なんだかわからない説明ですいません)
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一方目を藤枝側に向けてみますと、軌道敷きの跡には倉庫が立ち並んでいます。
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そこにはかつて人車時代の大井川駅があったそうで、人車と鉄道の乗り換えが行われていたそうです。
その道を挟んだ北側に有る一帯にはかつて相川競馬場(大井川寛永堤防と明治期の新堤防の間)が有ったそうです。
倉庫の反対側の軌道敷き(寛永堤防)まで出てきました。
旧道は線路敷きの北側からこの堤防の上を横切って(線路を横切って)旧富士見橋へと抜けていたそうです。
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寛永堤防から藤枝側を望むと、軌道敷きが扇型に広がっています。
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これは築堤を切り崩した跡で、当時はこの高さから段々と下り勾配でレベルを下げていた訳です。
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旧道の裏手に沿って田圃中を大井川駅(最終)に向かって進みます。中々いい感じです。
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やがて少し敷地が広がり住宅に突き当った所が大井川駅跡になります。
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駅跡は住宅が並んでいますが、敷地の形状は今でもはっきりと確認できます。3線の交換施設や駅舎まであった駅なのに、こうやって見るとその意外なまでの狭さに改めて軽便の収まりの良さを感じました。
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大井川駅を過ぎると、軌道敷きは真っ直ぐ現150号と旧道の間を進んでいきます。
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途中にはこのような嵩上げした橋台も残っています。
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やがて左に緩やかにカーブが見え始めると小さなプレートガーターが見えてきます。
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此処は軽便の枕木が今でも使われていると言われていますが、下に潜って覗いて見ますとタイプレートの跡や(ゲージも広い)新しい防腐剤の痕跡も有り、別物と判るものでした。
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但し、プレートガーター自体は軽便時代の物をそのまま使用していました
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by kitoudenki | 2012-06-17 19:37 | 鉄・駿遠線 | Comments(5)
Commented by 市役所 土木部 at 2012-06-17 23:35 x
待ち望んでいましたよ。
枕木説明 宜しくです!
Commented by pul-4 from-PC at 2012-06-17 23:42 x
おおっ!ついに完歩達成ですね!

ずいぶんと枕木の論議が繰り広げられておられるようですね。

まだまだ眠っている痕跡はたくさんあるようですね!!


う~ん、奥が深い~!
Commented by kitoudenki at 2012-06-18 21:56
枕木については見たままで、どう見ても用途廃止後30年以上経っているようには見えませんしタイプレートを使用した軽便を私は見たことがありません。もちろんゲージも異なります。それに尽きます。
Commented by 御前崎 at 2012-06-19 11:22 x
廃線跡が、なぜ、広がっているのか、わかりました。
築堤の用地確保。のり面だったんですね。
よくわかりました。
Commented by kitoudenki at 2012-06-19 19:46
あの区間は何故切り崩してしまったのしょうね。
歩道としてならそのままでもよかったのですが、借地か何かだったのでしょうか?
そんな推論もまた楽しいものですね。